No.142 H18.9.9

 最近、歌手の矢沢栄吉が出ている、キャッチコピーが「Image2016」というCMが頻繁に流れています。「10年後を想像してみなさい」ということだと思うのですが、矢沢栄吉という強烈な個性とコピーが非常に高い次元で融合した、久しぶりにいいCMだなと思えました。

 ところで、実は僕もそのように「10年単位」で生きてきました。例えば、「20代は下積みの10年」と自分で決めて過ごしていました。その結果、30歳の時に独立を決心しました。そして、今は「人生の全盛期とすべき30代」を送っています。では、40代以降は何なのかというと、やはり「全盛期」です。50代も60代も「全盛期」です。つまり、30代以降は全て全盛期なのです。「30代からずっと全盛期なんてとんでもない」と思われる方も多いと思いますが、僕の中では当たり前なのでした。なぜなら、「人はいつ死ぬかわからない」という思いが僕の中に強くあったからです。

 実は、僕はすでに同級生を10数名亡くしています。しかし病気で死んだ者は一人もいません。事故で亡くなった者や自殺した者がほとんどです。地元では「呪われた学年」とさえ言われています。一人目は水難事故で中1の夏に亡くなり、二人目は高1の夏に交通事故で亡くなって、それ以降毎年夏になると一人ずつ亡くなっていきました。今でこそ落ち着きましたが、当時は同級生が集まると「次は自分かも」という話になってしました。

 これでもかこれでもかと友人を亡くしていくうちに、僕の心の中も確実に変わっていきました。それは、「俺はいつ死んでもいいように生きよう」という決意でした。

 確かに日本の平均寿命は世界一です。普通に暮らしていけば80歳前後まで生きられるかもしれませんし、もっと生きられる時代が来るのかもしれません。でも僕にはどうしてもそうは思えないのです。もちろん死にたいという訳ではありません。しかし、この先何十年も生き続けられることが僕にとってはどうしても「リアルではない」のです。

 気がついたら、他人に「そんなに生き急いでどうするの?」などと言われるようになっていました。「もっとゆったり構えていいんじゃないの」とも言われます。でも、それは僕には出来ません。友人たちの死の度に「お前の分も生きるからな」と誓いましたし、僕自身の生も保証されているわけではないのですから。

 僕のようなケースは特別なのかもしれません。実際僕の学年のような話は小説や漫画以外では聞いたことがありません。でも、僕はこのような状況に置かれたこともまた必然と思い、受け容れてきました。そしてその結果、僕のような特別な能力も持たない怠け者が、今こうして「理想の教育」に向かって日々精一杯生きられています。数々の友人たちの「死」が僕に「生の有り難さ」を実感させてくれたのです。「生きていられる」ことの素晴らしさを教えてくれたのです。

 でも、僕に当てはまることは残念ながら塾生のみんなにも当てはまります。僕がいつ死ぬかわからないのと同様に塾生のみんなもやはりいつ死んでしまうのかわかりません。こんなことは書くべきなのではないのかもしれませんが、それでもこの事実は厳然と存在するのです。したがって、1度でいいからその事について考えをめぐらせてほしいと僕は心から思っています。「死」は誰もが忌み嫌うものであると同時に「絶対に避けられないもの」なのですから。

 幸い僕は今まで教え子を亡くしたことはありません。少なくとも誰一人として僕より先に亡くなるようなことはないようにこれからも祈り続けます。

〈今週のMVP〉

 今週のMVPは、該当者なしとさせていただきます。また次回に期待したいと思います。