おかげ様で創優会便りも今回で100号となりました。しかし,100という数字を目にして思うのは,「まだそれしか書いていないのか」というものです。実感としてそう思います。逆に言うと,まだまだ書かなければならないことがたくさんありすぎるということになります。僕自身,日々考えることは更新され続けています。今週もまた一つ自分の考えの誤りに気がつきました。この欄はこれからも僕がその時に考えたことを率直に書き続けたいと思っています。そして,書き続けることでその先に何かが見えてくるのではと思っています。
今回は100回記念ですので,それにふさわしいというか,生徒によく聞かれる質問について答えてみようと思います。長くなりますが,是非最後までお読みください。
「なぜ勉強しなければいけないのか。なぜスポーツではいけないのか。好きなことだけして生きていてはいけないのか」僕は子供の頃よくそう考えていました。今となれば単なる甘ったれなのですが,同じようなことを考えている塾生がまだまだいるように思います。
この問いがいかに愚問であるかは,勉強とスポーツや趣味を同列にしていることに尽きます。実は「なぜ,勉強をするための学校は義務化されていて,スポーツや趣味のための学校は義務化されていないか」ということを考えれば,答えは自ずと導き出されます。
ではその答えとは,「勉強は他のすべてのものとは決定的に違うから」です。そして,僕はその違いを「勉強ほどみんなに嫌われているにもかかわらず勉強ほどみんなにできるようになりたいと思われているものは他にはない」ことであると考えています。すなわち,野球が嫌いな生徒に野球がうまくなりたいなどという気持ちが生じるはずがなく,将棋が嫌いな生徒に将棋が強くなりたいなどと言う思いがこみ上げるという訳がないのは当然のことなのですが,勉強に関してはどんな勉強嫌いでもどんな不良でも必ず成績が上がれば喜ぶのです。ここが勉強の特異性なのです。つまり,「誰もが嫌いなのにできるようになりたい」という極めて矛盾したものが勉強なのです。
でもだからこそ,勉強をしなければならないのです。学校というのは,実は勉強ができるようになるために行くところではありません。「人間的に成長するために行くところ」なのです。高校や大学はともかく,小中9年間は人間的成長を義務付けられている期間なのです。あくまで「学校の目的は人間的成長」なのです。そして,その目的を達成するための手段として採用されたのが「勉強」なのです。なぜなら,人間的成長には「精神的負荷」が不可欠で,その負荷をかけるには勉強が最も効率が良いからです。みんなが嫌いだけど,みんなができるようになりたい勉強以外には実際のところ見当たりません。嫌いだからやり続ければ負荷がかかる。しかも,できるようになりたいと思っているから,嫌々やっても成績が上がることで納得ができる。これが勉強でなければ,例えばサッカーならば,僕だったら意味がなかったろうなと思います。サッカーは勉強より好きなので負荷が勉強よりかかりませんし,さらに勉強よりうまくなっても嬉しくないので続けることが困難です。つまり,僕にとってサッカーは人間的な成長もさほどももたらしてはくれませんし,かつ継続に必要な成長の自覚も大して期待できません。
つまるところ,勉強ほど効率良く人間的成長を促し,しかもそれが持続しやすいものはないのです。だから学校では,「人間的成長の手段」として勉強を義務化しているのです。スポーツや趣味ではそれが期待できないからこその勉強なのです。したがって,仮に勉強よりも効率的な人間的成長を期待できるものが他にあればすぐにそれに替えてしまえばいいのだと僕は思っています。
長くなりましたが,「なぜ勉強するのか」に対する答えは,「全ての人間に必要な人間的成長の手段として最も効果的だから」ということになります。
僕は,人間は『頭』と『体』と『心』という3つの要素から成り立っていると考えています。そう考えると『頭』だけや『体』だけが成長して『心』が全く未発達な大人が周囲にいかに多いか,と愕然となります。人間は『体』だけがいくら強くたってダメです。『頭』だけがいくら良くたってダメです。どちらも極めてアンバランスで不完全な存在と言わざるを得ません。おそらくその多くは犯罪を犯すでしょう。では,その大切な『心』をいかにして成長させるか。それはやはり自分自身に負荷をかけ続けるしかありません。自分という未発達で不完全な存在に徹底的に負荷をかけることで,日々磨きをかけるのです。生涯を通じて『完全なる人間』を目指し続けるのです。人間という存在はそのために生まれてくるのだと僕は思っています。
結局,「人はなぜ勉強するのか」は「人はなぜ生まれてくるのか」と同じ問いなのです。どちらも「人間的に成長するため」なのだと僕は信じています。
普通の塾では「頭」だけを鍛え,またそのことについて何も疑問も感じていないのだと思います。学校の先生もそのことの危うさにどれだけ気がついているのかはなはだ疑問です。しかし,創優会は『頭』はもちろん『心』も徹底して鍛える塾です。そもそも6年前に東京で「『心』を鍛える塾がなぜ一つもないのか」という疑問を抱いたところから僕の塾作りが始まりました。そして今,創優会における僕の仕事は全て「どうすれば塾生が人間的に成長できるか」に向けられています。
なかなか見受けられないコンセプトであるため,チラシなどではほとんど理解してもらえない創優会ですが,ご父母の皆様や塾生のみんなには少しずつでも理解していってもらいたい一心でこの欄を書き続けてきました。でもまだまだ書きたいことは山ほどあります。僕が願うのは,「塾生全員が勉強をすることを通して人間的に成長し,将来各々が様々な形でこの世界を良くするために尽力してほしい」ということです。もちろん僕自身この社会を少しでも健全化するために手稲の教育を変えようと自分に負荷をかけ続けています。これからも皆様からのご意見に耳を傾けながら,「真の教育」を追求していきたいと思っています。宜しくお願い申し上げます。
