「人間はだれでも『自分の強み』を活かして生きていかねばならない」と僕は強く思っています。
それで、「この生徒の『強み』は何かな?」といつも観察しています。
すると、まだ『強み』とまでは言えなくとも、何かしら良いところはみんなが持っていて、
「人間って本当に面白いな」としばしば感心させられます。
ところが、中にはあまりに素晴らしいものを持っていて、
逆にこちらが教えを請いたくなるような生徒も何人かいます。
今週はそういう生徒の話です。
札幌南高2年生のHさんです(塾での呼び名ではSさんです)。
実は、彼女は小3の初めからこの塾に通っており(今は小4からです)、今年で9年目になります。
現在、南高でもトップクラスの成績を維持しており、将来の目標に向かって日々頑張ってくれています。
その彼女の何がそんなに素晴らしいのか?
それは『当たり前のことが当たり前にできる』ということです。
こう書いてしまえば簡単なことに思われるかもしれませんが、
僕は『当たり前のことが当たり前にできる』人は
何をしてもどんな分野に進んでも人の役に立ち、成功できると考えています。
Hさんはすでにそういう力(あるいは習慣)を身につけている、ということです。
たとえば、彼女には「勉強したくない科目は勉強しない」という考え方がありません。
むしろ、「勉強したくない科目だからこそ、早いうちから勉強しよう」と考えます。
同様に、彼女には「勉強したい科目ばかり勉強する」ということもありません。
(『当たり前のことが当たり前にできる』とはそういうことです)
なぜ、Hさんはそういうことができるのでしょうか?
おそらく、彼女は「どうすれば目標に近づいていけるのだろう?」と
たえず自分に問いかけ、自分で答えているのでしょう。
そうすることで、結果的に彼女はいつも
「自分の目標に近づくための当たり前のこと」を選択し、「それを当たり前に」実行できるのです。
(少なくとも僕の目にはそう映っています)
こう書くと、「どうせ元々優秀な子だったんでしょう?」という声が聞こえてきそうです。
けれども、それは誤解です。そうではないのです(だからこそ、今こうして書いているのです)。
彼女の勉強を長い間見守り続けてきたからこそ、僕はこう断言できます。
「素晴らしい才能や能力を元々は持っていなかったからこそ、
彼女は自分で考えて『当たり前のことが当たり前にできる』というやり方を身につけたのだ」と。
つまり、才能や能力に恵まれなかったからこそ、
彼女はたえまない自問自答の末に『当たり前のことが当たり前にできる』という力を自ら手に入れたのです。
思うに、生まれつき『当たり前のことが当たり前にできる』人などこの世界に一人もいません。
この力(習慣)を身につけるには、気が遠くなるほどの自問自答と試行錯誤が不可欠だからです。
でもだからこそ、いったん身につけられれば、どの世界でも生き抜ける確かな力となり得るのです。
そのHさんを授業の形で指導できるのも残り4か月ほどとなりました。
そう思うと寂しくもなりますが、
これからも共に学んでいけるような豊かな時間を過ごしていきたいと思います。