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前回、「すべては理解力で決まる」と書きました。

塾を挙げて「理解力の向上」に取り組んでいくこともお伝えしました。

そこで、何回かにわたって「理解力」について考えるところを書いてみようと思います。

 

まずは、「知識を増やすことが勉強だ」というありがちな間違いについて。

 

 

「すべては理解力で決まる」ということは、

「すべての勉強が理解力につながる」必要があります。

 

そうすると、「理解力につながらないものは勉強ではない」ということになり、

したがって、「理解力につながらないのであれば、いくら知識が増えてもそれは勉強にはならない」

という考えにいたります。

 

例をあげてみましょう。

僕は、知識とは「絵の具」のようなもの、あるいは「絵筆」のようなものだと考えています。

いくら多くの絵の具や絵筆をそろえても、絵が上手になるわけではありませんし、

まして画家になれるわけでもありません。

 

絵の具や絵筆は、単なる「道具」にすぎないのです。

確かに、絵を描くために絵の具や絵筆は必要です。

けれども重要なのは、絵の具や絵筆を使ってたくさん絵を描き、絵について学び、技術を高めていくことです。

 

そのことと、理解力と知識の関係はほぼ同じです。

 

「知識をいくら増やしても、その知識を使って物事を理解していかなければ理解力は身につかない」

 

知識とは、理解力そのものではなく、物事を理解するための「道具」なのです。

したがって、「知識は物事を理解するために使われることで意味をなす」のです。

 

だからこそ、「知識を増やすことが勉強だ」とはならないのです。

「物事を理解するという目的のために知識を増やす」のならば、それは有意義です。

けれども、「知識はただ多ければいい」ということにはなりません。

それは、「絵の具や絵筆をたくさん買いそろえればいい」というのと同じだからです。

 

理解力は「物事を理解すればするほど身につくもの」であり、

すべての勉強はその理解力につながるものであるべきです。

だからこそ、「ただ知識を増やすこと」や「詰め込み教育」に意味はありませんし、

「丸暗記」など論外なのです。

 

 

「理解力を身につけること」を中心にして勉強を考えていくと、「本当の学びのあり方」が見えてきます。

そういったことを次回からも書いていこうと思います。