(前回の続きです)
「?」があるから「!」もある。「?」が増えれば増えるほど「!」も増える。
そうやって、理解力は高まっていきます。逆に、「?」がなければ「!」もありません。
そう考えると「あること」が説明できます。その「あること」とは?
「同じ授業を受けているにもかかわらず、生徒の理解度に差がついてしまう」ということです。
理由はやはり、「授業をきちんと聴いている生徒」と「授業をただ聞いているだけの生徒」
に分かれてしまうからです。
「授業をきちんと聴いている生徒」は
「今日の授業は何が大切なんだろう?」「定期試験にはどのように出るだろう?」
とまずは自分から「?」を出し、
「なるほどこれが今日のポイントだ!」「そうか!こういう風に出してくるな」
と自分で「!」を出しながら(納得しながら)授業を受けています。
つまらなさそうにしていても(実際につまらなくても)、最低限これくらいのことはやっています。
一方、「授業をただ聞いているだけの生徒」は
先生が話したことを、いや正確に言えばその「音声」を聞いているだけなのです。
もちろん「?」は出せませんし、「!」も出せません。
ただ残念なことに、「授業をただ聞いているだけの生徒」にその自覚はありません。
それが当たり前だと思っていますし、他の人も同じだと思っています。
このようにして、「きちんと聴いている生徒」と「ただ聞いているだけの生徒」に分かれてしまい、
両者の差はどんどん広がっていくのです。
さて、僕が「言いたいこと」はここから始まります。
「?」と「!」を出せる生徒と出せない生徒、両者のこの大きな差はどのように生じてしまうのでしょう?
思うに、それは「能力」の違いではありません。
なぜなら、子供の頃は誰もが親に「なんで?」「どうして?」と尋ねたはずだからです。
みんながありとあらゆることをしつこく尋ねたはずです。
だから、そもそも「?」を出せない人はいないのです。
また、その問いに対して、自分なりに答えを出したことも少なからずあったはずです。
だから、そもそも「!」を出せない人もいないのです。
したがって、それは「能力」の問題ではありません。そんなはずがありません。
実は、『習慣』が違うのです。
出せたはずの「?」がいつの間にか出せなくなり、それが習慣になってしまったのです。
勉強に対して生徒が「?」や「!」を出せなくなる原因のほとんどが『習慣』にあると僕は考えます。
いや、それは勉強に限らず、たいていのことに当てはまるのではないでしょうか。
その人の今の姿をもたらしているのは、「その人の能力」ではなく「その人の習慣」なのです。
ということは、『理解力』の違いをもたらすのも「能力」ではなく、やはり「習慣」だと僕は考えます。
理解力が高い人には必ず『理解力を高めるための良い習慣』があります。
逆に、理解力が乏しい人には『理解力を高めるための習慣が備わっていない』のです。
だからこそ、「理解力を高めたい」や「自分を変えたい」と強く願っている生徒は、
『習慣』から変えなければなりません。
僕は塾生のみんなに、このGW期間中「今の自分の『習慣』と向き合い、よく理解してほしい」のです。
同時に、自分から「?」と「!」を出してみてほしいのです。
それは、「人生を変えるのは能力ではなく習慣だ」と信じているからです。
そして、「自分の人生を変えられるのは、結局自分しかしない」と確信しているからです。