NO.130 H31.4.24

(前回の続きです)

「?」があるから「!」もある。「?」が増えれば増えるほど「!」も増える。

そうやって、理解力は高まっていきます。逆に、「?」がなければ「!」もありません。

そう考えると「あること」が説明できます。その「あること」とは?

 

「同じ授業を受けているにもかかわらず、生徒の理解度に差がついてしまう」ということです。

理由はやはり、「授業をきちんと聴いている生徒」と「授業をただ聞いているだけの生徒」

に分かれてしまうからです。

 

「授業をきちんと聴いている生徒」は

「今日の授業は何が大切なんだろう?」「定期試験にはどのように出るだろう?」

とまずは自分から「?」を出し、

「なるほどこれが今日のポイントだ!」「そうか!こういう風に出してくるな」

と自分で「!」を出しながら(納得しながら)授業を受けています。

つまらなさそうにしていても(実際につまらなくても)、最低限これくらいのことはやっています。

 

一方、「授業をただ聞いているだけの生徒」は

先生が話したことを、いや正確に言えばその「音声」を聞いているだけなのです。

もちろん「?」は出せませんし、「!」も出せません。

ただ残念なことに、「授業をただ聞いているだけの生徒」にその自覚はありません。

それが当たり前だと思っていますし、他の人も同じだと思っています。

 

このようにして、「きちんと聴いている生徒」と「ただ聞いているだけの生徒」に分かれてしまい、

両者の差はどんどん広がっていくのです。

 

 

さて、僕が「言いたいこと」はここから始まります。

「?」と「!」を出せる生徒と出せない生徒、両者のこの大きな差はどのように生じてしまうのでしょう?

思うに、それは「能力」の違いではありません。

 

なぜなら、子供の頃は誰もが親に「なんで?」「どうして?」と尋ねたはずだからです。

みんながありとあらゆることをしつこく尋ねたはずです。

だから、そもそも「?」を出せない人はいないのです。

また、その問いに対して、自分なりに答えを出したことも少なからずあったはずです。

だから、そもそも「!」を出せない人もいないのです。

したがって、それは「能力」の問題ではありません。そんなはずがありません。

 

実は、『習慣』が違うのです。

出せたはずの「?」がいつの間にか出せなくなり、それが習慣になってしまったのです。

勉強に対して生徒が「?」や「!」を出せなくなる原因のほとんどが『習慣』にあると僕は考えます。

いや、それは勉強に限らず、たいていのことに当てはまるのではないでしょうか。

その人の今の姿をもたらしているのは、「その人の能力」ではなく「その人の習慣」なのです。

 

ということは、『理解力』の違いをもたらすのも「能力」ではなく、やはり「習慣」だと僕は考えます。

理解力が高い人には必ず『理解力を高めるための良い習慣』があります。

逆に、理解力が乏しい人には『理解力を高めるための習慣が備わっていない』のです。

だからこそ、「理解力を高めたい」や「自分を変えたい」と強く願っている生徒は、

『習慣』から変えなければなりません。

 

僕は塾生のみんなに、このGW期間中「今の自分の『習慣』と向き合い、よく理解してほしい」のです。

同時に、自分から「?」と「!」を出してみてほしいのです。

それは、「人生を変えるのは能力ではなく習慣だ」と信じているからです。

そして、「自分の人生を変えられるのは、結局自分しかしない」と確信しているからです。