プロ野球選手を目指す子供は、野球に対して「負の言葉」は言いません。
もちろんやりたくない練習もかなりしなければなりませんが、
練習に対して「やりたくない」や「まだやるの?」といったような言葉は口にしません。
理由はいろいろあるのでしょう。
たとえば、そういう負の言葉を口にしてしまうと、
チームの他のメンバーの士気を下げてしまうことになりますし、
何より、そういう負の言葉を口にすると自分のやる気を削ぐことにもなります。
でも、そういうことよりも、
そもそも「野球に対して負の言葉を使うような自分は嫌だ」と思っているはずです。
そして、やりたくない練習であっても、「自分にとって必要な練習だ」と日々黙々とやり続けるはずです。
「何かを目指す」というのはそういうことだと僕は思います。
心に「負の感情」が浮かんでくるのは仕方ないかもしれません。
人間ですからね。自分でコントロールできません。
けれども、「負の言葉」を口にしてしまうのは違います。
もう目指しているとは言えません。自分でコントロールできることですから。
結局、「何かを目指す」ということには、
「自分が目指している何かに対する『敬意』も含まれている」のです。
プロスポーツ選手になることであれ、第一志望校に合格することであれ、
「自分が成し遂げたいこと」や「自分が手に入れたいもの」は
例外なく自分にとっては大切であるはずです。
だからこそ、『大切だと思う気持ち≒敬う心』が芽生えるのは当然だと僕は思うのです。
まだ志望校が決まっていない生徒も、「自分にとって勉強が大切なのかどうか」はわかるはずです。
そこで、もし勉強が大切だと思えるならば、やはり勉強に対して何かしらの敬意を抱くべきです。
いや「抱くべき」というより「抱きたい」と思ってほしいです。
「自分にとって大切だと思えることに敬意を抱き、精一杯頑張り続ける」
この経験は人間を真に成長させますし、人生を豊かにしてくれます。
そして、その敬意と頑張りが必ず成果へとつながっていきます。
それは、自分が大切にし続ける何かから「愛される」からです。
僕はそう信じています。