最近方々から、「北大生の就職が厳しい」という話を聞きます。昨年道新に「3割が就職先見つからず」といった記事が載っており、また僕自身個人的に動外発の色々な雑誌や情報から北大の就職率の厳しさについてはわかっていたつもりだったのですが、さすがに道内発の情報として耳にすると、「本当に厳しいんだなあ」と実感してしまいます。
ところが、その北大が全国の国立大学で第3位の利益を出しているという記事を5日の朝刊で読み、思いは複雑になってしまいました。3割の生徒が就職できない大学が京都大学よりも多くの利益を出している、就職率では東京大学に匹敵する一橋大学でさえ利益は数百万円なのに、40数億円という利益を出しているという事実は僕にとって腹立たしささえ感じさせました。内情はよくわかりませんが、そんなに利益を出せるのなら名ばかりの教授連中などにお金をかけずに本当に実力のある講師を招いて集中講座を開き、学生の資格取得率を高めることや、学生の学習意欲を高めるためのより具体的で即効性のある分野に資本を投下する等、やろうと思えばやれることなどいくらでも思いつくと思うのです。
現在北大に通っている学生たちもまさか北大に入っていながら就職できないなどという現実に直面するとは思っていなかったでしょうに。確かに、道外との様々な比較データをきちんと検証していればこのような事態は15年程度前には十分に予見できたのは事実です。しかし、それは僕が道外で塾講師の仕事をしていたから知り得ただけで、学生たちには知りようもなかったと思うのです。
ただ僕の怒りの矛先は北大以外に向けられます。それは「いつまでも北大の合格者数で競い合っている高校」です。高校の優劣を北大の合格者数で決めようとする旧態依然とした世間の風潮も困ったものですが、だからといって、筑波大学を受けたいと言ったら「北大の方が上だから北大にしなさい」と言われてしまったり(もちろん筑波大学の方が上です)、北大の理学部が難しくなってきたから他大学に変えたいと言ったら「とにかく北大がいいんだ」と言われ水産学部を受けさせられてしまったり、と生徒の将来などそっちのけで学校側の利益のためでしかない進路指導をしている高校がかなり多数存在します。このような指導をされた生徒たちが就職できなかった場合に、高校側はどう責任をとるのでしょう。「高校の仕事は大学に合格するまで」などと居直ったりするのでしょうか。あるいは「生徒の将来はあくまでも本人の問題」と開き直るのでしょうか。僕には全く理解できません、それが教育だというのなら、そんなものは野良犬のえさにでもした方がいいと思います(野良犬も嫌がるでしょうが)。
もちろんいつまでも学生気分で自分の人生を見つめようとしない学生自身も困ったものです。しかし、その事と北大や高校側のエゴや怠慢は全く別の代物です。僕は、北海道を本当に変えたいのなら「まずは大人が真剣に生きなければ何も始まらない」と思うのもこういう部分に根ざしています。「のんびり気質と大らかさが北海道の良いところ」というのは観光客にとってのみの話で、住民にとっては何の利益もないということに気づくべきです。
「一生懸命生きる」ということの大切さは「のんびり」の中には決して見出せないと思うのは僕だけなのでしょうか。