お電話でもお話させていただいておりますが、今創優会は大きく変わろうとしています。それは一言で表しますと、「『講師主導』から『生徒主導』への転換」です。
創優会は今まで塾生の成績を地域ではダントツに伸ばし、高い合格率も達成し、塾生数も毎年順調に増加してきました。そういった結果だけを見るならば、別段何も変える必要もなかったのかもしれません。しかし、僕たち講師にとっては、「この生徒は確かに成績は上がったけれど、『本当に頑張れる人間になったのか?』」という問いから逃れられなかったのです。どんなに頑張って教えてどれほど成績や内申が上がっても、残るのは結局「虚しさ」だけだったのです。それは例えば、定期試験では90点以上取ったのに、1週間後には忘れている生徒や、定期試験前にもかかわらず自分から勉強する気など全くなく、「塾に行けばなんとかしてくれる」と受身の姿勢で完全に塾に依存しきっている生徒を見ていると、「この子たちは将来一体どうなっていくのだろう?社会に出たら誰も助けてくれず自分しか頼りにならないのに」という思いとなって表れるのです。
勉強でも仕事でも何でも当てはまるのですが、人間は全て「自分次第」です。環境がなんだろうと世の中がどうなっていようと「自分」がしっかりしていれば何の問題もありません。でも、そのことを子供たちが理解するのはいつなのでしょうか?学校で教えてくれるのでしょうか?そんな話は聞いたことがありませんし、実際の今の学校でそのような教育は不可能だと思います。では、家庭ではいかがでしょう。僕の率直な意見としては、そのような教育はやはり家庭でしっかりとなすべきなのだと思います。しかし、現実問題として子供は早ければ小学校中学年から反抗期が始まり、親の言うことがどうしても疎ましく感じられる時期を迎えてしまいます。したがって、本当はその前までに「人生は結局自分次第なのだ」ということを伝える必要があるのですが、反抗期の前はまだ幼すぎて伝えたくても伝えられなかったと思われる保護者の方もいらっしゃるでしょう。そこで、創優会は「思春期であり反抗期でもある、難しい年頃の子供たちに、『人生はすべて自分の責任なのだ』ということを保護者の方々と共に伝え続けていこう」という覚悟を決めたのです。実際にこのようなことにまで関与しようとする塾などほとんど存在しないと思います。しかし、勉強だけをいくら教えたところで、その生徒の根本に「自分の勉強は自分で責任を負う」といった覚悟がない限り、やはり付け焼刃にしかならないのです。仮に高校受験はくぐり抜けたとしても、その先にある大学受験や就職試験、あるいは社会人になってから苦しい思いをするだけなのです。いや、苦しい思いならまだいいのかもしれません。中には生活していくことさえ困難になってしまう人も少なからず出てくると思います。
見たくない現実をきちんと見据えるならば、北海道の景気が今後良くなることはほとんど期待できません。今は不景気なのではなく、おそらく「普通の状態」なのでしょう。したがって、現状でも北大生の3割が就職できず、高校生の有効求人倍率が0.29倍といった状況なのですから、それを前提として考えていかなければとんでもないことになるはずです。しかし、塾の前を通る学生や街で通りすがる若者を見ていても、そのような危機感は微塵も感じられません。それどころか、何も考えずに「今が良ければそれでいいんだ」といった感さえ受けます。でも、それは間違いです。そのような考えでは確実に滅びます。
心の底から本当に「今が良ければいい」と思っている人間ならいいでしょう。しかし、「もっとより良く生きたい」「将来はもっと上を目指したい」と心のどこかで思うのならば、周りが何をしていようが、「人生の大波に対する準備」を始めるべきなのです。「そんなのは面倒くさいなぁ」と思う人は別に構いません。それもまた自分の責任で、後に必ず迫り来る大波を頭からかぶり、社会の洗礼を浴びてしまえばいいのです。それが立ち直れないほどのものであっても、それはそれで全て自己責任です。でも、そうは思わない人は、それもまた自己責任で自分の人生を受け容れ、将来をより良くするための最大限の準備をして下さい。
いつまでも人に頼っていたってその先には何もありません。その当たり前の事に気づいて、準備を始められる人間だけが生き残るのです。「なるようになるさ」と思う資格のある人間は、「出来得る限りの準備をした者」だけなのです。何の準備もなく「なるようになるさ」などと言っている人間には、確実に何ももたらされません。
たった1度きりの人生。それをどのように描くかは全て自分次第。このことを「怖い」と思うか「面白そう」と思うかでその人間の全てが決まると僕は思っています。
