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授業でもこのお便りでも

「本当に大切なのは理解力」

とくり返しお伝えしてきました。

 

そして、その理解力とは

「物事を理解すればするほど高まっていく力」

ということもお伝えしてきました。

 

でも実は、僕の中に「まだきちんと伝えられていないな」という思いも残っています。

ですから、もう少し説明したいと思います。

 

授業をしていて、僕の話すことを聴いて「わかった」と言う生徒はたくさんいます。

中には「わかりやすい」と言ってくれる生徒もいます。

 

けれども、その「わかった」は、必ずしも「理解力」につながっているとは限らないのです。

少なくとも僕はいつもそう疑っています。

 

自分では「わかった」と思って、同じ単元の問題をスラスラ解けるようになっても、

それは「真似をしているだけ」の可能性があるのです。

あるいは、「上っ面(うわっつら)がわかっただけ」の可能性もあるのです。

 

残念ながら、それは僕の考える「理解力」ではありません。

 

「本当の理解力」は、同じ単元の問題が解けるだけでなく、

「同じような構造の他の現象も理解し尽くそうとする力」なのです。

 

たとえば、英語で不定詞の形容詞的用法を教えたとします。

そうしたら、「本当の理解力」がある生徒は

「じゃあ、不定詞の他に名詞を修飾するにはどんな言い方があるのだろう?」

とまず日本語で考えようとします(この「日本語で」というところが重要です)。

 

説明するのもなかなか難しいのですが、

「本当の理解力」があれば、「物事の本質に迫りたくなる」ものなのです。

あるいは、「物事の本質を知り尽くしたくなる」ものなのです。

それが僕の考える「本当の理解力」です。

 

そして、難関国公立大学が受験生に求める力も、

いやこの世界が若者たちに求める力も、まさにその力なのです。

 

したがって、僕の考える本当の理解力をあえて言語化すると、

「もっと理解したい」「本質を理解したい」と思う心がもたらす力

ということになります。

 

かなり書きましたが、まだまだ伝えたいことがたくさんあります。

いや、あり過ぎますので、続きは来週書いてみます。

来週も是非ご覧になってくださいね。