前回まで3週にわたり、「考える力」と「理解する力」について書いてきました。
くどいようですがもう一度整理しますと、
考える力とは、わからないことを「わかるまで考えたい」と思う心がもたらす力 のことであり、
理解する力とは、「もっと理解したい」「本質を理解したい」と思う心がもたらす力 のことです。
そして前回は、「考える力」と「理解する力」とは、
結局のところ、「?」から「!」への思考のプロセスであり、
この「?」から「!」を繰り返すたびに知性というものは高まっていくと書きました。
さて今回は、迷いましたが「本音」を書いてしまおうと思います。
当初は書くつもりはなくて塾生にだけ伝えていたことなのですが、あえて書くことにしました。
本当のところは、考える力は、
わからないことを「わかるまで考えたい」と思う心がもたらす力
ではないのです。
理解する力も、
「もっと理解したい」「本質を理解したい」と思う心がもたらす力
ではないのです。
本当の考える力とは、わからないことを「わかるまで考えたい」と思う心 のことです。
本当の理解する力とは、「もっと理解したい」「本質を理解したい」と思う心 のことです。
つまり、どちらも『心』なのです。
わからないことを「わかるまで考えたい」と思う『心』があれば、
もうそれだけで力がわいてきます。その『心』があるだけでいくらでも考えようとするものです。
「もっと理解したい」「本質を理解したい」と思う『心』があれば、
もうそれだけで力がわいてきます。その『心』があるだけでいくらでも理解しようとするものです。
『心』があるからこそ、人は前へ進もうとすることができるのであり、
逆に、その『心』がなければ、人は前へ進んで行けません。
つまり、『心』のあり方次第ですべてが大きく変わっていくのです。
人間ですから。いや、人間だからこそ、そうなるのだと僕は思います。
そうであるからこそ、知識や解き方をただ教えるだけでは意味がないと僕は思うのです。
「勉強に対する生徒の『心』そのものが変わってこそプロの仕事」
まだまだ未熟ですし、実際なかなか難しいのですが、いつも念頭にあるのはそういう考えです。
『心』が整っていない生徒には、とにかくあらゆる手を尽くして整えようとしています。
このお便りもその「あらゆる手」の一つです。
『心』が整っている生徒には、こちらもやはりあらゆる手を尽くして
『「?」から「!」へ』という良質の経験を授業時間の許す限り積み上げてもらいます。
それが学びの森SOYUKAIなのです。
今回は本音を書きましたが、この話はもう少し続きます。
来週で完結しますので、是非またご覧になってください。
