「何のために勉強するのか?」
そう思いながら勉強を続けている生徒は少なからずいると思います。
それどころか、残念ながら、
「勉強なんて何の意味もない」と思い込んでしまっている生徒もいるかもしれません。
そのことについて、思うところを書いてみようと思います。
そもそも「何のために勉強するのか?」ということよりも先に考えるべきことがあると僕は考えます。
それは「自分は何のために生きるのか?」ということです。
より根源的なことですね。
では、その問いに対する答えは何なのか?
あくまで僕個人としての答えではありますが、
「人の役に立つため」だと思います。
あるいは、
「人に喜んでもらうため」だと思います。
すなわち、「人の役に立つ」あるいは「人に喜んでもらう」ために生きて、
その相手が満足してくれたり喜んでくれたりすることを自らの喜びとする、ということです。
そして、その喜びこそが「生きがい」や「やりがい」につながるのではないかと思うのです。
僕は本気でそう考えています。
逆に言うと、自分のことだけ考えて生きている限り、
あるいは何も考えないでただ生きている限り、
「生きがい」や「やりがい」なんて見つかるはずがないと僕には思えるのです。
勉強も同じです。
「いつか人の役に立つため」に勉強するのです。
「いつか人に喜んでもらうため」に勉強するのです。
自分が将来就きたい職業がもう決まっていて、その職業に勉強はまったく必要ないというのならば、
その生徒はもう勉強しなくてもいいのかもしれません(それでも勉強はした方がいいと僕は思いますが…)。
しかし、そういったものが決まっていない生徒は、
とにかく「いつか人の役に立つため」あるいは「いつか人に喜んでもらうため」
という理由で勉強に取り組むことで十分なのではないかと思うのです。
「自分はどうやって人の役に立つのか?」「自分はどうすれば人に喜んでもらえるのか?」
こういうことをたえず考えながら勉強していくのです。
実際に、「一生懸命勉強したけれど人の役には立たなかった」ということはないと僕は思いますし、
そういう人に会ったことも一度もありません。
習い事であってもスポーツであっても、
一生懸命頑張ればその経験は必ずや人の役に立つことになります。間違いありません。
ましてや、勉強は言うまでもありません。
勉強を「やりたくないもの」「めんどくさいもの」と決めつける前に、いや決めつけた後でさえも、
「目の前にあるこの勉強が、将来の自分の生きがいややりがいにつながっているのだ」
ということを心に留めておいてほしいと僕は心から願っています。
精一杯勉強することは絶対に嘘をつきませんから、
そして、精一杯生きることも絶対に嘘をつきませんから。