No.362 H23.9.10

夏休み期間ということで、

大学生活を送っている卒業生が何人か顔を見せてくれました。

 

嬉しいのは、みな異口同音に

「大学生活はめちゃくちゃ楽しい!先生が言っていた通り、この楽しさは行かなきゃわからないね」

と言ってくれるところです。

 

大学の楽しさは行けばだれもがわかることだと思います。

でも、その楽しさは「高校生までの楽しさとは次元が違い過ぎて」

残念ながら高校生以下には理解できないのです。

 

それまでの「楽しさのものさし」がまったく当てはまらないんですね。

 

 

でも、その楽しそうな大学生にもやはりわからないことがあります。

 

それは「社会人生活」についてです。

 

おそらく、「苦しそう」とか「つらそう」とか「難しそう」といった負の思いが

社会人生活(世の中)に対して抱いているイメージの大半なのだと思います。

また、「大学生活のこの楽しさは社会人からはもう味わえない」

なんて思っているのではないでしょうか。

 

でも、それもまた、「大学生までの生活とは次元が違いすぎて」

残念ながら大学生以下には理解できない類のものなのです。

上記と同じ構造です。

 

それまでの「楽しさのものさし」がやはり役に立たないのです。

 

世の中は、確かに「苦しい」し「つらい」し「難しい」です。

でもだからこそ、

そこには「感じたことのない生きがい」や「とてつもないやりがい」という

全く別の「楽しさ(充実感)」が存在するのです。

 

確かに「大学時代の楽しさ」はもう味わえません。

でも、それとは次元の違う「自分の力で生きていく面白さ」というものが世の中にはあるのです。

 

安易な世界には、安易な人間が集まり、安易な生き方を模倣し合います。

困難な世界には、本物の人間が集まり、本物の生き方を追求し合います。

 

僕自身も本物からはまだまだほど遠い身ですが、

世の中に出て、「本物の人間」や「本物の生き方」に触れられたとき、

「もう大学時代には戻らなくてもいいや」と思えたものです。

「あの楽しさは大学の4年間でもう十分だったな」とも思えたものです。

 

彼らが社会人となり、世の中にもまれ、もがき、洗練されたときに、

もう一度会ってじっくりと「仕事」の話でもしてみたいです。