No.363 H23.9.17

長年仕事を続けていると、

「どうしても確信が持てない」という戸惑いの中で、

それでも先へと進んでいかなければならないことがあります。

それでも結果を出さなければならないことがあります。

 

もちろん悩みます。もちろん苦しみます。

緊張もしますし、不安にもなります。

逃げたくもなりますし、胃が痛くなることだってあります。

 

思えば、昔の僕は自分がこういう状態に陥らないように

様々な準備をしていたような気がします。

「確信の持てないこと」や「先が見えないこと」から生じる緊張や不安を遠ざけようと、

あらゆる段取りをつけていました。

 

でも、あるときふと気がついたんです。

 

「先が見えず不安や緊張にさいなまれながらも

なんとか最後までやり切ったときが一番成長できている」という事に。

「何がなんだかわからないまま必死にもがき続けている間が一番伸びている」という事に。

 

もちろんそれ以外には成長しないというわけではありません。

でも、「このまま行ったら自分はこうなるはずだ」と初めからわかっていることより、

「このまま行ったら自分はどうなってしまうんだろう?」と不安に思えることの方が

経験として得がたいものになるでしょうし、その分大きく成長できるような気がします。

 

それに気がついてから、

どんなに自信があっても「おおむね結果の予想がつくこと」を意図的に遠ざけてきました。

逆に、感覚的にでも「より光の射す方に向っている」と思えるなら、

「ほとんど先の見えないこと」でも選択するようにしてきました。

 

例えば、僕の授業にはカリキュラムがありません。

また、同じ単元であっても教え方を毎年変えています。

高校部では使うテキストさえ毎年異なります。

「漢字テスト」と毎回作りますし、「過去問」の使い方も毎年変えています。

 

それで、結果的に「毎年確実に良くなっている」と実感しています。

もちろん失敗もありますが、毎年「やっぱりやって良かったな」と思えている自分がいます。

 

手堅さの基づく「心の平安」よりも、

不確実さから生じ得る「自分の成長」を優先しているのです。

 

そのため、実は授業のたびにドキドキしている自分がいます。

心のどこかに一定以上の不安や緊張があります。

 

でも、「毎年確実に自分の腕は上がっている」と確信しています。

 

「確信が持てない状態」で取り組み始めて、

「自分の腕が上がっていると確信している状態」に至るのですから面白いですよね。

 

でも、「成長の構造(成功ではありません)」ってこういうものなのだと僕は思います。

これはそのまま「成長のこつ」と言い換えられるとも思っています。