No.369 H23.11.5

根本的なことを書こうと思います。

 

僕は「才能」に関しては塾生に何も求めません。

なぜなら、「才能」は自分の努力で手に入れたものではないからです。

あればあったで、大いに磨きをかけてもらいたいですし、

なければないで、それで普通だよねという程度の認識です。

 

僕は「能力」に関してもとやかく言うことはありません。

あればあったで、満足などせずに高め続けていってもらいたいですし、

なければないで、貪欲に求め続けてほしいと思うくらいです。

 

でも、「取り組み方」に関しては、

今までも問い続けてきましたし、これからも求め続けていくつもりです。

というより、正直なところ、僕は「取り組み方」にしか興味がありません。

なぜなら、「取り組み方」さえきちんとしたものであれば、

「才能」はともかく「能力」に関してはいくらでも高まっていくものだと確信しているからです。

 

木でたとえるならば、

「才能」は花や葉、「能力」は幹や枝、「取り組み方」は根にあたるものだと思います。

どんなにきれいな花を咲かせ、いかに青々とした葉を茂らせ、

枝を空へとどれだけ大きく広げ、どれほど立派な幹を持っていたとしても、

根が腐ってしまってはすべてがダメになってしまいます。

木にとっては「根がすべて」なのです。

根ですべてが決まってしまいます。

 

「取り組み方」でも「意識」でも「姿勢」でも「志」でも言葉はなんだって構いません。

とにかく、「勉強に向かっていく心の在り方」だけを僕はいつも見ています。

 

「才能」や「能力」ではなく、「心の在り方」こそがその人なのです。