行動につながらない「気づき」
行動につながらない「学び」
行動につながらない「悟り」
近頃こういったことが恐ろしく感じられるようになってきました。
行動につながっていないということは、すべてが垂れ流されているわけです。
「単に気づいただけ」「単に学んだだけ」「単に悟っただけ」ということです。
にもかかわらず、「気づき」や「学び」や「悟り」があるだけで
人間はどうしても以前の自分とは違うと思ってしまう。
わかったような気になってしまったり、どこかしら満足してしまったりする。
そこには「気づき」や「学び」や「悟り」こそが
その人間の成長を阻害しているという皮肉な構造が見えてきます。
こういったことが僕には恐ろしく感じられるのです。
もちろん、行動すればそれでいいということではありません。
マイナスの行動というのもありますから。
でも、「気づき」や「学び」や「悟り」に関しては
行動につながらなければ無意味だと言いきれます。
「今日はたくさんの気づきがあって有意義だった」
「今週はいろいろと学びの多い週になった」
などとどこかで満足げに思っていた自分が情けなくなりました。
1日にたった1つでもいい。
まずはとにかく行動に移してみる。それを続けてみる。
その過程で得られるのが本当の「気づき」であり「学び」であり「悟り」なのだと思うのです。
一日一歩ずつ。一日一歩だけ。
でもその歩みこそがまさに自分の成長である。
そういう自分の身の丈に合った生き方が、
特にこれからのは時代には求められていくように僕は思います。