僕は生徒を見るときに、
まず「この生徒は本気で勉強に取り組む気持ちがあるのかどうか」を確認します。
勉強でも何でも、本人に気持ちがあるというのが大前提ですから。
それがあると確認できたら、
次に「実際にこの生徒は本気で勉強に取り組めるのかどうか」を確認します。
気持ちがあるのと実際にやれるのとは全く別物ですので。
それが確認できたら(確認できない生徒も少なからずいますが)、
次に「この生徒の本気はどのレベルの本気なのか」を判断します。
「本気」といっても、そのレベルは無限に存在します。
「ある人にとっての本気」は「ある人にとっての手抜き」に相当するほど千差万別であり、
同じ人間であってもいくらでも高めていけるものだと思うからです。
つまり「本気のレベル」こそが、僕が生徒を(自分も)判断する際のバロメーターになるのです。
いやそれどころか、「その人間の本気のレベル」を「その人間のレベル」と見なし、
「その人間の本気のレベルの高まり具合」を「その人間の成長の度合い」と見なしているほどです。
本気のレベルが高まっていれば、「その人は成長している」と判断し、
本気のレベルが変わっていなければ「その人の成長は止まっている」と判断します。
本気で物事に取り組めば、本気のレベル自体が必ず上がるのです。
逆に、手を抜いて取り組めば、本気のレベルは少しも上がりません。
授業中や面談で僕が
「能力なんてあってもなくてもどうでもいい」と言い続けている根拠がここにあります。
その人間がどれほどの成果を残せるのかは、
結局「どれだけ本気で物事に取り組めるか」で決まると僕は信じているのです。
逆に、どれほど才能に恵まれていても本気で物事に取り組めない人は
必ず壁にぶち当たります。
そして、壁にぶち当たっても本気になれない人はそこで終わってしまいます。
「出来ない理由」とか「言い訳」というのも同様です。
本気で物事に取り組んでいる人間は決して「出来ない理由」を探しませんし、「言い訳」もしません。
そんなことをしても意味がないからです。
「出来ない理由」も「言い訳」も結局のところ、その人間の弱さでしかありません。
厳しいことを書きましたが、僕が言いたいのは
「目標を達成できるかどうかを決めるのは、結局『本気になれるかどうか』なんだ」ということです。
人が本気になった時、まず、「見える景色」が変わります。
それは、その人の「眼の色が変わる」からです。
その「眼の色が変わるという体験」を塾生全員に味わってほしくて、
9年前に僕は創優会を始めました。
そして「本気で物事に取り組むことの楽しさ」を実感してもらいたくて、
これからも僕は創優会を続けていきます。
もちろん本気で。