No.379 H24.1.28

たとえばの話です。

両親にひたすら甘やかされて育ち、自分の力では何も出来ず、

それどころか自分から何ひとつしようともしない子どもがいたとします。

 

この子に責任はありません。

甘やかせてくれる両親がいたからこそひたすら甘えて、

しかもそれを当然のこととして生きてきただけのことです。

この環境を拒絶できるような子どもは存在しないと僕は思います。

 

責任のすべてが両親にあるのは明白です。

もしもこの子の将来に思いを馳せるだけの想像力が少しでもあったなら、

どこかの時点で「このままではいけない」と方向転換もできたはずですが、

そんなこともせずにそのまま育ててしまったのですから。

 

かなり厳しいことばかり書きましたが(たとえばの話ですからね)、

僕が言いたいのはここからです。

 

何の責任もない子どもと、一切の責任がある両親。

もちろん責任のある者が責任を取るというのが道理です。

しかし実際のところ、この両親はこの子の人生に対して何の責任も取れません。

取りたくたって取れません。

人生を取り替えることはできませんから…。

そして、何の責任もないはずのこの子が自分の人生に対して一切の責任を負うことになります。

負いたくなくたって負わなければなりません。

人生を取り替えることはできませんから…。

 

      自分に責任があろうとなかろうと、

      それを望もうと望むまいと、

      人間は自分のすべてを背負って生きていかねばならない。

 

身もふたもないように思われるかもしれませんが、それが人生の一大原則です。

どんなに苦しくてもどれほど受け入れたくなくても、この原則は誰にとっても絶対です。

 

この現実を受け入れられるか?

受け入れるとしたらそれはいつなのか?

 

受け入れた人はその瞬間から「自分の本当の人生」がスタートします。

同時に、その瞬間に「人生の本当の素晴らしさ」を知る権利を手にします。

僕はそう信じています。