No.4 H28.5.14

「習うより慣れよ」という言葉があります。

「人に教えられるよりも、自分で経験を重ねたほうが身につきやすい」という意味です。

実際に、習うより慣れることの方が実人生では役に立つことが多いと僕は思います。

なぜなら、世の中にある事柄のほとんどは

「人に習うものではなく、自分の頭で考えるもの」だからです。

 

ところが、勉強に関してはむしろ逆で、

「慣れるより習え」という方が適切だと思います(こんな言葉はありませんが…)。

つまり、「自分で経験を重ねるよりも、人に教えてもらう方が身につきやすい」ということです。

学校の勉強も受験勉強も「慣れるより習え」が近道なのです。

数学や英語などの「単元」のある科目は、特にその傾向が強いと思います。

 

「勉強はできるけれども仕事ができない」と言われる人がいるのは、

こうした「仕事は慣れるもの」であり「勉強は習うもの」である

という違いを理解できていないということも影響しているのではないのでしょうか。

 

けれども、国語(文章読解)だけはそれに当てはまりません。

国語だけ他の科目とは異なり、「習うより慣れよ」が当てはまるのです。

なぜなら、国語(文章読解)には、単元的な「こうすれば解ける」というような

「習うべきもの」がほとんど存在しないからです。

文章の読み方は人に習うものではありません。

 

では、その文章読解力はどうしたら身につくのか?

 

「筆者の言いたいことを考えながら文章を読むということ」そのものに慣れる

 

このことに尽きると僕は思っています。

 

要するに、会話と同じなのです。

「相手の言いたいことを考えながら話をする」

これが正しい会話ですよね。

自分の言いたいことばかり考えていたら会話なんて成り立ちません。

 

そして、その会話も「習うもの」ではありませんよね。

会話もやはり、「相手の言いたいことを考えながら話をする」ことに慣れていくしかありません。

つまり、「習うより慣れよ」なのです。

 

整理します。

仕事など世の中で行われている事柄のほとんどは「習うより慣れよ」です。

一方、学校で行われている勉強のほとんどは「慣れるより習え」です。

ところが、文章読解力を身につけるには、会話と同じように「習うより慣れよ」なのです。

 

したがって、「わからないから先生に教えてもらうのを待っている」という方法は、

文章読解力に関してはあまり意味がないということを少しでも理解してもらえるだけで、

間違った勉強をずっと続けてしまうということは少なくなります。

 

「習うより慣れよ」「慣れるより習え」という2つの考え方を知っておくだけでも、

物事の見方がかなり変わってくるのではないでしょうか。