No.400 H24.7.14

少し重い内容ですが思うところを書いてみます。

 

「ラクして生きていきたい」

子供の頃はだれもが心の奥底でそう願っているのだと思います。

 

でも、人生のある時点で、「自分のこの願いがかなうことは絶対にないんだな」と不本意ながらも悟り、

人は考え始めます。

 

「ラクして生きていけないのなら、自分はどうすればいいのだろう?」と。

「ラクして生きていけないのなら、どうすれば生きられるのだろう?」と。

 

そこで、大きく2つに分かれるのだと僕は思います。

 

一方は、「それじゃあ、やるだけやってみよう」とそれまでの自分を変えようとする人です。

もう一方は、「でもやっぱりなるべくラクしたいよな」とそれまでの自分を押し通そうとする人です。

 

前者は、決してラクではありませんが、大きく大きく成長していきます。

成長するごとに、自分の可能性がふくらんでいくことも実感できます。

そしてある時点で、「あの時もしもラクして生きられていたら、今の自分は存在しなかった」と気づきます。

「あの時、やるだけやってみようと思えて良かった」としみじみ思います。

 

後者は、少しラクに生きられることもあるかもしれませんが、成長なんてできるはずがありません。

言うまでもなく、可能性などまたたく間になくなってしまいます。

そしてある時点で、「なんで自分にはこんなに悪い事ばかり起こるのだろう」と不思議に思い始めます。

「自分は悪くないのに、ラクできないどころか苦しくなっていく一方だ」と境遇を嘆いたりもします。

 

途中までは同じような人生だったのです。

でも、その時点で見えている世界が全く違います。

しかも、この格差はその後も開く一方です。

 

もちろん誰のせいでもありません。

「ラクをあきらめられたか」「ラクを追い求めてしまったか」の違いが、

両者の人生をこれほどまでに異なるものとさせてしまったのです。

 

「もう待ったなしのやらねばならない時」がその分岐点なのだと思います。

その分岐点をちょうど今迎えている塾生がこの夏は多いように僕は感じています。