No.418 H24.12.15

プロ野球選手が引退する際にしばしばこのような言葉を口にします。

「野球と出逢えて良かった」「野球に感謝している」「野球に恩返ししたい」

 

この言葉を聞くたびに、

「ああ、いい言葉だなあ。本当に幸せな出逢いだなあ」

と僕もしみじみ思っていました。

 

でも最近、僕も同じようなことを実感しています。

「勉強があってくれて良かったなあ」と。

 

まず、この世界に「勉強というもの」が存在してくれて、

そして、「勉強を頑張ることはそれだけで素晴らしい」というこの国の風潮があって、

さらに、その「勉強」にたずさわって毎日生きていられる。

 

この事実が有り難く思えるようになってきたのです。

 

「勉強だけできるようになっても意味がない」ということをいつも言っている僕ですが、

勉強ができるようになりたいという願いを抱いて入会してくれる生徒たちがいて、

その生徒たちに勉強を通じていろいろなメッセージを伝えているわけですから、

やはり僕の仕事は「勉強があってこそ」なわけですね。

 

もちろん、お金を稼がなければ生きていけないからという理由もあります。

でも、この「勉強」は僕にとってそれよりはるかに大きい存在なのだと思うのです。

もしも勉強というものがなかったら、僕はこの職業を選べなかったのですから、

それを想像するだけでぞっとしますし、

逆に、今の僕の境遇が純粋に有り難いと思えるのです。

 

70歳までの残り29年と少しの時間は

もう「勉強への恩返し」に費やしてもいいんじゃないか

という気さえするくらいです。

 

40歳という、人生の折り返し地点らしき年だったせいか、

今年は様々なことに気づき、学び、行動し、そしてまた気づく、という繰り返しだったのですが、

今回書いた「勉強に対する感謝」こそ僕にとって最高の気づきだったように思います。

 

この気づきを糧にして、また一歩ずつ歩んでいこうと思っています。