いくつかのクラスで話しましたが、
僕は成果を出す(合格する)ためには次の法則があると思っています。
成果(合格) =「努力の量」×「努力の質」×「熱意」
一般的に語られるような「質」と「量」のかけ算ではなく、
それに「熱意」という要素もかけるのです。
仮にこの考え方が正しいとすると、
やっかいになってくるのが、これが「かけ算」であるということです。
3つの要素のいずれかに0(ゼロ)が入るとその解まで0(ゼロ)になってしまうからです。
「受け身からの脱却」を強く打ち出した理由がここにあります。
勉強の量と質に関しては、塾側にその責任のほとんどがあります。
たとえば、僕の担当する国語と英語なら、
生徒が自分で問題集を用意する必要は一切なく、
僕の授業をきちんと受けた上で、テキストの予習と復習をしっかりとやってもらえれば
質・量ともに申し分のないレベルにまで到達するようになっています。
そもそも塾に入るということはそういうことなのだと僕は思うのです。
「生徒の第一志望校合格に向けて必要十分な質と量の勉強を提供する」
これこそがプロの仕事です。
ところが、「熱意」だけはそういうわけにはいきません。
やはり本人の意識や気持ちが重要です。
僕たちは「意識を高めるためのきっかけ作り」くらいしかできません。
でも、よくよく考えてみると、
その熱意こそが「その人間そのもの」なのだと僕には思えてなりません。
先週のお便りにも書きましたが、
「熱意」がこめられているものは何でも魅力が感じられますし、
こめられていなければやはりつまらないものに思えてしまいます。
やはり、人にとって「心」は生きていく上で最も大切な要素なのです。
そういう意味でも、僕は塾生のみんなに、
「勉強に熱意をこめてほしい」と強く願うのです。
まとめてみましょう。
「勉強の量」と「勉強の質」に関しては塾側が責任を持ちます。
最高のものを提供するために、先生たちは最大限に努力します。
プロとして約束します。
その代わり、「勉強に対する熱意」に関しては自分で責任を持ってほしい。
受け身でただ終わらせるだけの勉強とは決別し、
すべての勉強に対して強い気持ちを持って取り組んでほしい。
塾生のみんなに僕は心からそう願います。
そして、そういう取り組みを続けていった結果として、
みんなが勉強に限らず何事に対しても熱意を抱き、情熱を傾けられる人間になってくれれば、
もう他に願うことなどありません。
その人はどんな世界でも必要とされます。だれの目にも魅力的に映ります。
そして必ずや、「自分のやり方」や「自分の生き方」が見えてきます。