No.443 H25.7.13

「人が物事に打ち込んでいる姿」は、人の心を理屈抜きに揺さぶります。

そこには、ラクをしたいとかめんどくさいなどという人間らしい負の感情は一切見当たらず、

何かを成し遂げたいとただひたすらに強く願う「情念そのもの」がむき出しになっています。

 

甲子園を目指す高校球児の姿につい涙してしまうのは、

球児たちの勝利へのむき出しの情念があまりにも純粋でありかつ非日常的であるが故のことで、

またそうであるからこそ、その涙は普遍性を獲得するのだと僕は思っています。

 

 

 

先日、中体連(バドミントン)に行って来ました。

中3生の何名かが中1の頃からずっとひたむきに頑張っていたので、

一度は見ておきたいとかねてから願っていたからです。

 

順調に勝ち進み、塾生たち同士の決勝戦(ダブルス)となったのですが、

そこにはまさに「むき出しの情念」がありました。

 

どちらも教え子ですので最初のうちはどちらがポイントを取っても拍手していましたが、

徐々にその情念の分厚さに圧倒されて、もう拍手さえできません。

 

「勝ちたい!」という互いの情念。

それは、見ているだけの僕まで息苦しくなるほどの純度で力強く迫ってきます。

同時に、その圧力は三人がこの日までに積み重ねてきた努力や流してきた汗の量を雄弁に物語って

います。

 

この時点で、僕は本来の目的である「応援」を忘れていました。

 

塾生たちはそれぞれ、試合の流れに翻弄され、自分のミスに立腹し、

それでも勝利を信じて前を向き、互いに敗北を拒絶し合っていました。

 

そのあまりの熱情と容赦ない渇望に、

「どちらも負けないでほしい」というどこか子供じみた思いを抱きつつ、

気づくと僕は涙を流していました。

しかし同時に、その涙の意味を分かりかねてもいました。

 

試合終了の瞬間が熱戦に相応しくない形で唐突に訪れ、やはり明暗は分かれました。

でも僕にとって、少なくとも敗者はいませんでした。

己のすべてを賭けて正々堂々と戦い、力を出し尽くした者に誰が優劣などつけられるでしょう。

 

試合終了後、塾へと向かう車中で、

あの「どちらも負けないでほしい」という気持ちが、

実は「我が子の成長を願う親の切なる祈り」に似た思いだったのだと理解できました。

 

 

 

真史、瑛太、敬太。

君たちが積み重ねてきた努力は本物です。

だからこそ先生は感動できましたし、そんな君たちを心から誇りに思います。

その情熱や姿勢をこれからの人生にも活かし、大きく大きく成長していってください。

先生はいつもいつまでも君たちを応援しています。