No.449 H25.9.14

あえて書こうと思います。

 

先日、中3クラスで国語の文章読解の授業をしていたら、

「三つ子の魂」という言葉に対するみんなの反応の鈍さが気になって、

「この中で『三つ子の魂百まで』ということわざを知っている人は手を挙げて?」

と尋ねてみました。

 

その時授業を受けていたのはクラス14人中11人で(3人が欠席)、

その中には東西南北高を第一志望にしている生徒が10人含まれていたのですが、

なんと手を挙げたのはゼロでした。

 

正直、愕然としました。

実のところ、その時僕は「もし半分いなかったらどうしよう…」と思って尋ねたのです。

 

『三つ子の魂百まで』ということわざは、いやことわざや慣用句というものは、

学校で学ぶものでも塾で学ぶものでもありません。

暮らしの中で自然と身につけていくべきものです。

記憶をたどると、僕は漫画を読んでいてこのことわざを見つけ、意味がわからず、

国語辞典で調べて、「なるほど、そういうことか」と納得した憶えがあります。

 

生活の中で言葉を身につけていく生徒には共通した意識があります。

「自分の知らない言葉を知らないままにしておくのは恥ずかしい」という意識と、

「自分の知らない言葉を身につけていくこと自体が面白い」という意識です。

 

もちろん、いちいち辞書を引いたりするのはめんどくさいものです。

でも、そのめんどくさいという気持ちを

「言葉を知らない恥ずかしさ」や「言葉を身につけていく面白さ」が上回るのです。

そうして、日常生活で知らない言葉に出くわす度に辞書を開いたり、

ニュースでよく耳にする時事的な用語を逐一調べたりする体験を通じて、

人は知らず知らずのうちに

「自分の力で学ぶ」という構えが出来上がるのだと僕は思います。

 

勉強をしている時にしか「学びのアンテナ」が立っていない生徒と

いつもどんな時でも「学びのアンテナ」が立っている生徒。

 

みなさんはどちらの生徒が伸びていくと思いますか?

みなさんはどちらの生徒に大きな魅力を感じますか?