No.478 H26.5.17

「塾は生徒に勉強を教えるところであり、塾講師は生徒に勉強を教える人である」

という風に思われがちですが、

実のところ僕にはあまりそういう認識はありません。

 

もちろんそれも役割の1つであるのは確かですが、

あくまでもいくつかある役割のうちの1つとしか思えないのです。

 

僕は、「勉強というものは生徒が自分でするものだ」と思っています。

いや勉強に限らず、努力と呼びうるものはすべてそういうものだと思っています。

だからこそ、努力は尊いのです。

だれかにいつも支え励ましてもらわなければできないような努力は努力とは言えません。

 

でも一方で、受験には努力をすれば必ず合格できるわけではないという側面もあります。

なぜなら、「努力の方向性」が間違っていたらせっかくの努力が無駄になってしまうからです。

どんなに歩いても、目的地に向かっていなければたどり着きませんよね。

 

けれども、ほとんどの受験生は「人生で初めて受験を経験する」わけですから、

努力をするだけで精一杯で、その方向性までは意識が及ばない場合が多々あります。

 

したがって、本人の責任において精一杯努力するのは大前提として、

その努力を無駄にしないために、「努力の方向性」をたえずチェックする存在が必要となるのです。

 

僕にとって塾の役割の一端がそこにあります。

 

ただし、その「努力の方向性」もこちらから一方的に強制するということはありません。

それどころか、生徒に「努力の方向性」もなるべく自分の頭で考えるよう求めます。

あくまでそういう形で、その生徒の努力の方向性がおかしくなっていった場合にのみ、

こちらから指示を出します。そして、本人に納得してもらった上でなるべく速やかに改善します。

 

なぜなら、

「自分の頭で考え出した努力の方向性を自分で実践した上で結果が出た時に、人は大きな自信を手にする」

からです。

 

それを受験を通じて実際に経験し、大きな自信を抱き、その後の人生にも活かす。

このことこそ、「塾の果たすべき最も大きな役割」だと僕は考えます。

 

つまり、「子供に確かな自信を抱いてもらう」という役割こそが最も重要だと思うのです。

 

実際に、創優会の仕事は「塾生一人ひとりに自信を抱いてもらう」という一点に向けられています。

僕も佐藤先生もその一点に向かって、日々生徒たちに接しています。

 

創優会を巣立っていった生徒たちがみな自分に自信を抱き、

苦しい時にこそ自分を信じることができ、

どんな世界でも強くたくましくしなやかに生きていける。

それが、僕の心からの願いなのです。

 

それはある意味で、自分の娘に対する願いとなんら変わりありません。

 

したがって、「単に勉強を教えること」はそれほど大切なことではないのです。

そもそも「だれにも教えてもらわないで出来るようになる」という経験も自信につながるのだと思います。