No.495 H26.10.11

「努力はいつも報われるとは限らない」という言葉をときどき耳にします。

つい最近も耳にしました。

そのたびに僕は、「怖い言葉だな」と思います。

 

理由の1つは、「努力の方向性について語っていない」からです。

どんなに努力したって、その方向性が間違えていれば報われるはずがありません。

そういうものを努力と呼ぶこと自体間違えているような気がします。

 

次に、「努力の成果を『結果』でしか判断していない」からです。

たとえば、オリンピックの金メダルを目指している人が世界に100人いたら、

99人が叶わないのは当然です。結果で判断するとはそういうことです。

 

 

でもそこで、努力の成果を『人間としての成長』で判断すると、

100人全員が報われる可能性があるわけです。

 

僕は、生徒に対しても自分に対しても、

「正しい努力を続けていけば人として必ず成長できる」と思っています。

 

その意味で、「努力はいつも報われるとは限らない」なんてまったく思っていません。

 

だからこそ逆に怖いのです。

そんなウソの言葉を聞いて「なあんだ。努力したって報われるとは限らないんだ」

と、空しくなってしまう子供が出てくるかもしれないからです。

その可能性がある時点で、その言葉(ウソ)はすでに「ある種の呪い(のろい)」ですらあると思います。

 

自分の足りないところやいたらなさをしっかりと受け入れた上で、

頑張って頑張って、自分が変わっていく。成長していく。

このことだけでどれだけ豊かな気持ちになれるか。

努力して努力して、その結果人として地に足がついてくる。

このことがどれほど自分に対する自信になるか。

 

努力とは、自分のためにすべきものであり、

同時に、必ず自分に返ってくるものだと思います。