No.525 H27.6.27

「最小の努力で最大の効果を上げる」

 

僕は小学生の頃、この言葉(考え方)が好きでした。

「理想的だ」とさえ思ってしました。

もちろん、そこにひそむ危うさには気づきもしませんでした。

 

疑い始めたのは、中1の初めの頃です。

 

野球部に入部した僕は、2学年上のある先輩の練習ぶりに圧倒されたのです。

その先輩はエースで4番でキャプテンだったのですが、

他のどの先輩よりも熱心に練習していました。

 

朝練でも放課後の練習でもだれよりも真剣に練習していましたし、

全体練習が終わってからも(すでに夜8時半過ぎです)、ひとりだけ居残って走っていました。

帰宅してからも(僕は家が近所だったので気づいたのですが)、

毎日夜遅くまで素振りとシャドーピッチングをしていました。

 

その先輩の姿を見ているうちに、自然と「かっこいいな」と思えるようになりました。

そして、「なるべくラクしたい」と思っている自分が情けなく思えるようになっていきました。

 

その先輩の練習は「最大の効果を上げるために最大限の努力をする」というものです。

しかも、それを「これくらいやって当たり前だ」という表情で黙々と取り組んでいたのです。

 

その先輩と出逢えて、その努力の一端を垣間見られただけで、

当時の僕はその部活に入って良かったと思いましたし、今でもそう思っています。

そして、先輩に対する感謝の気持ちを今も変わらず持ち続けています。

 

ちなみにその先輩は現在、

横浜DeNAベイスターズの一軍バッティングコーチを務めています。

そして、4番の筒香選手を球界最高の打者へと育て上げようとしています。

 

もしもその先輩と出逢わなければ、僕が創優会を始めることもなかったのかもしれません。

本当にそう思えてしまうほど、先輩の努力は僕の考え方を変えてくれたのでした。

 

子供の頃に「人が本当に努力する姿」を見ることは、

最も大切なことの1つなのかもしれません。