No.545 H27.12.19

毎年書いていることですが、また書こうと思います。

 

受験戦争などという言葉もありますが、

僕が思うに、受験は戦争どころか「競争」でさえありません。

 

なぜなら、各高校(各大学)の合格最低点は、毎年だいたい同じくらいだからです。

したがって、合格最低点を狙うのではなく、

それにもう少し上乗せした得点を「自分の目標点」として設定し、

「その目標点にどうやったら到達するのか」だけを考えて勉強すればいいのです。

 

それで、到達したら「合格」で、到達しなかったら「不合格」となります。

(ただ実際は目標点を高めに設定しているので、達しなくても合格することはあります)

 

こう考えると、だれかと競ったり争ったりすることなんてなくなりますよね。

だから、「受験に競争なんてない」のです。

 

そこにあるのは、常に「自分との戦い」です。

自分との戦いに勝つか負けるか、それが受験の本質なのです。

 

ということは、不合格とはいつも「自滅」ということになります。

 

整理します。

受験に(他人との)競争なんて一切ありません。

あるのは、目標点に到達するかしないかという「自分との戦い」だけです。

したがって、不合格は「自分に負けたということ」つまり「自滅」となるわけです。

これが受験の仕組みです。

 

でも、この仕組みは他のほとんどのことにも当てはまるのではないでしょうか。

 

オリンピックのメダル争いや芸術界における世界的なコンクールなどでは

当てはまらないのかもしれませんが(僕には想像もつかない世界です)、

ほとんどの人が関わる一般の世界においては、

自分自身に負けることなく準備を徹底できる人は何事も上手くいき、

どうしても自分に負けてしまう人は何をやっても上手くいかないのだ、と僕は思います。

 

したがって、「受験に限らず、すべての失敗は自滅だ」と僕は考えますし、

逆に言うと、「自滅さえしなければ、たいていのことは成し遂げられる」のだとも思うのです。

 

努力の方向性を間違えず、

やるべき時にやるべきことをやり尽くすという「準備」を徹底できれば、

結果は後から自動的についてきます。

 

1月16・17日にセンター試験を受験する高3生にとっても、

3月3日に公立高入試を迎える中3生にとっても、

「受験に競争なんてない」というのは厳然たる事実です。

したがって、「やるべきことをどれだけやり尽くせたか」ということだけが合否の焦点となります。

受験当日緊張してしまいそうな生徒は、

「緊張していながらも実力を発揮する」ための準備もしなければなりません。

 

目標とするところまで、自分に負けずに積み重ねられるか。

勝負はそこで決まります。

だから、「めんどくさい」とか「やる気にならない」とか言っている人は、

その時点でもう受験のスタートラインにすら立っていないのです。

 

ただし、残念ながらそういう人(受験生)が多いのもまた、確かな事実です。