早いものでもう4月も下旬となり,来週からGWが始まり,中学生はGW明けから定期試験対策授業がスタートします。高1生にとってはいよいよ本格的な勉強が始まりますし,高2生はいよいよ大学受験に向けた受験勉強が本格化してきます。そして,高3生はもう待ったなしの受験体制となります。小6生も中学受験の生徒には受験生としての必要十分な質と量の勉強を求めるつもりですし,公立中進学準備の生徒にも正しい勉強の習慣としっかりとしたものの考え方を身につけてもらおうと思っています。小3生から小5生には一日も早く塾での勉強に慣れてもらった上で,自分なりの勉強のペースをつかんでもらいたいと思います。
各学年とも様々な課題があり,それをいい形で消化するためにあらゆる手立てを尽くしているのですが,最近特に思うのは,どの学年も「与えられるのを待っている生徒が多い」ということです。以前から何度も当欄で取り上げてきたテーマですが,新入会生が増えたせいかそのことについて考える機会が増えています。僕自身は「自分の力で得た経験こそ全てである」という教育観を持っていますので,国語にしても英語にしても極力自分の力で答えまでたどり着くのを待ち続けているのですが,恐らくそのような指導法がごく少数派になっているのでしょうか,生徒たちは面食らった顔をしていることが度々あります。例えば国語の読解問題を解いていてわからない言葉に出くわした時に,僕はわからない言葉の全てを辞書で調べた上で自分の頭で考えるしか読解力育成の道はないと考えているのですが,辞書も引かずに(引こうともせずに)ちょっと考えただけで「わからない」と諦めてしまう生徒がいかに多いことか。よく観察していると,そういう生徒たちは1つの問題につき平均15秒も考えないで諦めてしまっています。つまり,考えること=脳に負荷をかけることができないのです。わからないことについて考えること自体が苦痛となっているのです。恐らく,脳に負担をかけることが頭をよくする唯一の方法なのだと教わらないできてしまったのではないでしょうか。それくらい自分の頭を使おうとしません。
スポーツなら筋肉に負荷をかけることで筋肉は強く大きくなっていきます。そして,負荷をかけるのをやめるとすぐに筋肉はやせ細ってしまいます。それと同様に,頭も難しい問題を考えることによって負荷をかける以外に成長させる手段はありません。もちろん,いたずらに難しい問題ばかり解かせても逆効果ですが,創優会では生徒ひとりひとりに合わせたレベルの問題を解いてもらっています。それは,考え続けていけば何とか手が届く範囲内の問題に絞られています。特に国語は学校の勉強がいい加減なために一見かなり難しそうなことをさせているように見えるかもしれませんが,決してそのようなことはありません。文章を読む時の目の使い方や姿勢,あるいは問題を解く時の手の使い方や表情等,さまざまな角度からその子の国語力を分析した上でその子に合った問題をその子に合った形で(あるいはその子に将来入学してほしい学校のレベルから逆算した形で)提示しています。実際に長く通ってくれている生徒にとっては今僕が書いた事は自明であるはずです。そうやってみんな読解力を伸ばしてきたからです。
極論してしまうと,誰かが手を差し伸べれば子供たちは楽をするだけなのです。そして,子供たちは既にその楽な状態に慣れきっています。どうか子供の将来のために,大きく羽ばたく余地を残すために,自分の頭で物事を考えさせてください。どんなに嫌がっても苦しがっても自分で考えさせてください。そうすれば,子供は大人の想像をはるかに超えた成長を見せてくれます。短期間では変わりないように見えるかもしれませんが,長いスパンでは必ず着実な成長を示してくれます。その成長たるや大人の比ではありません。子供の成長を阻む最大の要因は,実は僕や学校の先生も含めた周囲の大人たちであるのだと僕は日々自戒しています。
