定期試験が近づいてきましたので,今回は久しぶりに「ミス」について書いてみたいと思います。
例えば,生徒がわかっているはずの問題を間違えた時,僕も含めて大人は「それはミスだ。直しなさい」ととがめます。そして,その原因をよく「集中力の欠如」や「注意力不足」等に求めます。そこまではありふれたことなのですが,さらにそれをとかく「性格の問題」に結び付けてしまうことが多々あるように思われるのです。僕自身,母親に「お前はそういう性格なんだから直しなさい」とよく言われて育ってきました。ところが,そう言われてしまった僕としては,どこをどう直せばいいのか皆目見当がつかず,結局「自分はそういう性格なんだから仕方がない」と開き直るしかありませんでした。
しかし,それは本当に「性格の問題」なのでしょうか。最近,僕は違うような気がしています。ミスの根源たる「集中力の欠如」や「注意力不足」は性格の問題などではなく,実は「幼児性の問題」なのではないかと思うのです。すなわち,たとえ年齢がいくつであっても人間的に幼さが残っていれば,その幼児性の残り具合に比例してミスが多くなり,どんなに年少であっても幼児性をさほど残していなければミスの度合いは低いのではないか,ということです。
もちろん,年齢を重ねれば重ねただけ人間的に成熟していく可能性は高まるため幼児性は後退していくのですが,それでもただ年齢だけを重ねても人間的に成熟していかない場合は一向に幼児性は後退しません。(昨今よく見られる幼児殺傷事件の犯人などがその最たる例です。外見は大人であっても彼らの精神世界は幼児そのものです)。
そこでもしこの考えが正しいとするならば,年齢は何歳であっても幼児性をなくしていけばつまらないミスがなくなるということになります。そして,僕はそこにかなりの可能性を感じております。つまり,今まではミスをなくす方法論としては「普段からミスをしないようにする」というのが第一のものだったのですが,「人間的成熟=ミスの減少」が成り立つのであれば,生徒の人間的成長を絶えず促すことが確固たる第二の方法論となるのです。では,どうやって人間的成長を促すのか?それは,「精神的に適度な負荷をかけ続ける」以外にありません。スポーツでも楽な練習で技術的成長は望めません。あくまで,相応の負荷をかけ続けること新しい技術の獲得に到る訳です。したがって,僕は勉強でも同様に「負荷をかけ続けること」こそが必要だと考えるのです。
そこで,今回のテスト対策から塾生にはただ勉強をしてもらうのではなく,「人間的な成長につながるような,持続的な勉強」をしてもらおうと考えています。具体的には,生徒にとってやり易い勉強ではなくやりにくい勉強(たとえば頭を常に働かせなければならないような,惰性が働きにくい勉強)をやってもらおうと思います。
そこでその一環として,ご家庭でも生徒に負荷をかけるようなこと(家事の手伝い等)をさせてもらえば僕としては有り難いのです。全ては生徒の人間的成長につながると考えて(つまらないミスが減ると信じて),もちろん生徒自身もその自覚を持って,何らかの仕事を与えられ,それをこなし続けることに,僕は重要な要素が隠されているような気がしてならないのです。
「ミス」から話を膨らませていきましたが,お電話でも申し上げ続けているように,僕は勉強も生活も全てはつながっていると考えています。ですからその考え方を今後も発展させて,様々な角度から生徒たちの成長を促し,また可能性を広げていければと思います。皆様のご理解とご協力宜しくお願い申し上げます。
