No.85 H17.5.28

 今週は僕の好きな野球について書いてみたいと思います。野球に興味のない方には難しい内容になってしまうかもしれませんが,よろしければ最後までお読みください。

 野球界には,「ピッチャーは努力次第でコントロールは向上するが,球速に関しては持って生まれた才能だから努力しても向上しない」という常識があります。実際,プロ野球界でも球速は鍛えられないと考えられているため,新人投手獲得の際には球の速いピッチャーが最も評価されるという傾向が今でも強いのです。現在球界を代表する顔ぶれを見ても,松坂選手や上原選手などやはり速球派の投手が多数を占めます。

 しかし僕も最近になって知ったのですが,野球の本場であるアメリカでは実はそれとは全く逆の評価をしているのです。アメリカでは「コントロールは持って生まれたものだから仕方ないが,急速に関しては鍛え方次第でいくらでも向上し得る」というのが常識となっているようなのです。これはもう完全に真逆の考え方と言わざるを得ません。

 日本人の手先の器用さやアメリカにおける球速アップ方法論の確立という要素を考慮しても,同じ野球というスポーツでこれほど違った常識がそれぞれの野球界で広まっているということから僕は色々考えてしまいました。それは,「日本にとっての常識がアメリカでは非常識であり,またその逆も言える」ということです。

 現在,教育界にも様々な「常識」があります。しかし,それが常識だからという理由で逐一検証されずにまかり通っている現状に,そして,僕自身もそのような行為をしてしまうことがあることに,僕は憂いと罪悪感を覚えます。今僕がしていることが「単に周りの大人たちみんながしていること」なのか,それとも「子供の将来にとって本当に意味のあること」なのか,それを直面する度に立ち止まって考え続けていくことが大事なのではないでしょうか。そして,熟考した上で正しいと思えたならば,それが一般的に「非常識」であったとしても断固として行動に移さなければならないのではないでしょうか。そういった大人の決断と勇気が今ほど大切な時代はなかったのではと僕は考えています。

 価値観の多様化に従い,大人たちは今揺れています。何が大切で何が必要なのか,なかなか見極めが難しくなっています。しかし,大人がそうであるのならば子供は一層揺れてしまいます。何をどうしていけばいいのか皆目見当がつかなくなってしまいます。だからこそ,今は大人たち一人一人が身の回りにある「常識」を疑うことから始めなければならないのではと僕は思います。そしてその過程で新しい物事の判断基準を獲得できれば,それは子供たちの成長にとって大いなるプラス材料となるはずです。

 子供に変わってもらうために,まずは大人が変わるべきなのではないでしょうか。僕はそれを肝に銘じながら,仕事をしていきたいと思います。