「受験の神様に、この生徒はどう見えているのだろう?」
これは、僕の心にたびたび浮かぶ問いです。
授業中も言い続けていますし、この欄にも書き続けてきましたが、
僕は「受験の神様」の存在を確信しています。
そして、そうであるがゆえに、
たびたび心の中で受験の神様に話しかけてしまうのです(見たことはありませんが…)。
以下はすべて、受験の神様についての僕の推測です。
受験の神様は、受験生はもちろんですが、「将来受験するであろう生徒」の勉強もいつも見ています。
それは、受験当日に「応援してあげる生徒」と「応援してあげない生徒」をきちんと見極めるためです。
「受験の神様が応援してあげたい生徒」は、「いつも精一杯頑張り続けている生徒」ではありません。
そんな生徒は存在しないからです。
勉強を始めた最初の瞬間(幼稚園か小1)から受験当日の最終チェックまで、
すべての科目のありとあらゆる勉強をいつも精一杯頑張っている生徒なんて僕はいないと思います。
人間ですからね。
そうではなく、
「どうしても勉強したくなくて怠けてしまったとしても、次の日には反省してまた頑張ろうとする生徒」
こういう生徒を受験の神様は応援したくなるのです。
やっぱり人間ですからね。どうしても頑張れない時だってあります。だれにでもあります(僕もそうです)。
あるいは、定期試験や模試の結果が悪くて落ち込んでしまい、勉強が手につかなくなることだってあります。
けれども、そこでどう立ち直るか。どう立ち直ろうとするか。
そこを受験の神様は見ています。必ず見てくれています。
逆に、いつまで経っても立ち直れず、立ち直ろうともしない生徒がいたら、
どこかの瞬間で「君を見るのはもうやめるよ」ということになるのです。
すなわち、受験の神様は「生徒が勉強することにくじけた時」こそじっと見つめている。
そして、少し時間がかかっても立ち直れた(立ち直ろうとした)ならば、神様はその生徒の背中を押してくれ、
そうでなければ、神様はその生徒を見るのをやめてしまう。
つまり、受験の神様は「勉強を(受験を)絶対にあきらめない生徒」をいつも見守ってくれている。
僕はそう信じています。
「どんなに難しい問題があっても何度でも立ち向かっていく生徒」
「思うように成績が上がらなくてもしっかり反省してまた勉強と向き合おうとする生徒」
このような生徒を受験の神様は必ず見守ってくれています。
逆に、「難しい問題があったらすぐに「無理」と言ってあきらめてしまう生徒」
「思うように成績が上がらないとすぐに第一志望校を下げようとする生徒」
そういう生徒に対しては、……もう言うまでもありませんね。
受験の神様のために勉強するわけではありませんが(勉強は自分のためにするものです)、
「受験の神様が応援したくなるような生徒になろうとすること」はとても意義深いと僕は思います。
ちなみに、僕自身は「仕事の神様」にいつも見てもらっていると思いながら仕事をしています。
どうやら「仕事の神様」も絶対にあきらない人間が好きなようです。
だから、どんなに厳しい状況でも絶対にあきらめない限り、いつも可能性を残してくれます。