先日興味深い本を読みました。そして,とても興味深い言葉と出会いました。それはある経営コンサルタントによる本の一節なのですが,塾生にとっても重要な言葉であると思いますので,今週はその言葉と僕の考えるところについて書いてみたいと思います。
その言葉は「断言するが,企業間に競争など存在しない」というものです。一般的には,民間企業は会社存続をかけたサバイバルレースを日夜続けていると受け止められていますので,僕にとってもこの言葉は強烈なインパクトがありました。ただこうした言葉はほとんどが奇をてらっただけのものが多いのも事実です。やはり初めは僕もそれを疑いました。しかし,この言葉の説明に僕は心底納得してしまったのです。それは,「『うちの業界は競争が激しくて』とか『ただでさえ世の中は不景気なのにこれだけ競争が激しくてはたまったものじゃない』とかいう経営者がよく私のところに相談に来ますが,そういう人は大体において自分のやるべきことをやりもしないでただ『競争が激しい』だの『景気のせいだ』だのと言っている。
しかし,景気は自分の力では変えられないのだから言っても仕方がないし,競争に関しては結果的に勝ち負けは決まるけれども実際はどこの企業もどの社員も自分がやるべき仕事をどれだけこなせるかが肝要なのであって,それは他社との競争というより自分との闘いに他ならない。したがって,他者との競争などという考えを持っている経営者であればあるほどその経営者はおろかその社員までも大切な事に気がつかないで無駄なことばかりしている」といった内容なのでした。
ライバルと並走する100メートル競走やプロスポーツなどの勝負の世界なら確かに実質的な競争は存在すると思います。しかしそれは限られた世界の事であって,一般的には筆者の考えがまさに当てはまると納得せざるを得ませんでした。そして,このことはまさに受験にも当てはまると思います。
受験勉強の大半は自宅で孤独になされる営みです。ライバルと隣りあって互いに火花を散らしながら問題を解きまくるなどという場面は学校や塾の授業中に若干あるだけの話で,一斉講義形式の予備校では一切ありえませんし,ましてや自宅での学習などでもあるはずがありません。つまり,結局は「自分との闘い」に尽きるのです。例えば,学校で同級生であり塾も同じ友達が同一高校を目指すことになっても,その二人の間には実質的な競争は一切ありません。あるのはただ「二人とも自分自身と闘い続けるということ」だけであり,結果としてどちらも合格するか,不合格になるか,あるいはどちらかが合格するだけの話です。結果から見ると二人は競争したことになりますが,実のところ何も競い合っていません。一人が合格して一人が落ちてしまった場合でも,どちらかが競争に勝ったことにはなりません。あくまでも各々が自分自身との闘いを終えただけなのです。
つまるところ僕が言いたいのは,「他者の存在を意識するのは構わないけれども,そのことに意識を取られ過ぎて自分のなすべきことがおろそかになってしまうことが決してあってはならない」ということです。正直に言って,僕自身も思うように生徒数が増えなかったり,思うように生徒が頑張ってくれなかったりした場合に,「札幌の景気がもっと上向きになればなあ」とか「もっと頑張れる生徒になってくれればなあ」と思ってしまうこともあります。しかし,残念ながらそんなことを言ったところで事態は何も変わりません。単なる愚痴でしかありません。それぞれの条件下で自分にやれることをやれる範囲で目一杯やるしかないのです。焦点をぼかしてはなりません。
人間誰でも生きていればよいことも悪いこともあると思います。しかし,良いことがあっても悪いことがあっても逐一心を乱されることなく自分のやるべきことをやり続けること(あるいはやってはいけないことを決してやらないこと)こそが,自分の思い通りに生きる第一歩なのではないでしょうか。周囲のマイナス要因にばかり目を向けて歩むことをやめてしまったら,その先に何が待っているのでしょう。僕は何も待っていないと思います。
塾生の中には受験のプレッシャーや定期試験の重圧を感じている生徒も少なからずいると思います。でも,やるべきことはただ一つです。そこには競争も何もありません。ただひたすら自分に打ち克ち,やるべきことをやり続けるだけです。これはこの上なく孤独な闘いとなりますが,塾生全員にその孤独さに耐え,自分の人生を切り拓いていってもらいたいです。そして僕も僕のやるべきことを孤独に耐えながら黙々とやり続けようと思います。
