NO.87 H30.4.28

「言葉の力」について書いてみたいと思います。

 

かなり以前から僕は「やらなければならない」という言葉に漠然とした違和感を抱いていました。

それは何かに強いられて使う場合だけでなく、自ら必要性を感じて使う場合においてもです。

勉強でも仕事でも「やらなければならない」という言葉を使っているうちは、

本人が手にしたいほどの成果は望めないのではないか、と心のどこかで感じていたのです。

おそらく「やらなければならない」という言葉にどこか否定的なニュアンスを感じていたのでしょう。

それでもそれ以外に適当な言葉が見当たらなかったので、

違和感がありながらもなんとなく使い続けていました。

 

けれども、去年の夏頃それに代わる言葉を見つけたのです。

それは、「やっておきたい」です。

 

自分の目標達成のために「やらなければならない」

自分の目標達成のために「やっておきたい」

 

同じように感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、

僕の中ではまったく異なる、いやむしろ真逆の言葉です。

目標に向けて前へと進もうとする力が全然違うと思えます。

肯定的なニュアンスも確かに感じとれます。

気づけた瞬間、「ようやく出会えた」とさえ思いました。

 

この言葉を「発見」してから、

仕事に対して「やらなければならない」という言葉を使うことはほとんどなくなりました。

会計入力等の作業や雑務ではつい使ってしまうこともありますが、

授業や授業準備に対しては「やっておきたい」という言葉があまりにもしっくりくるので、

もう使うことはありません。

たまになんとなく「やらなきゃならないな」とつぶやいてしまったとしても、

即座に「そうじゃないよな。やっておきたいんだよな」と訂正したくなるくらいです。

 

そもそもどうしても達成したい目標があるわけです。

何よりもその達成を望んでいるわけです。

それが達成できたら本当に幸せで満ち足りた気持ちになれるわけです。

それはもう分かりきっているわけです。

そうであるならば、

そこへと向かっていく過程に「やらなければならない」という言葉はそぐわないのではないか、

本当に達成したいのだから「やっておきたい」という言葉こそふさわしいのではないか、

僕はそう思います。

きれいごとと感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、

僕にはそう思えます。

 

「やらなければならない」という言葉を「やっておきたい」へとただ変えただけです。

けれども、僕の中のどこか大切な部分が確実に変容しました。

それは本来あるべき姿に戻れたということなのかもしれません。

 

言葉には人生を(良くも悪くも)一変する力がある。

そうであるからこそ、

今からでも自分の言葉を大切にしていきたい。

心からそう思います。