No.89 H17.6.25

 大部分の中学・高校で定期試験が終わり,塾生のみんなは返却された答案を見て様々な思いを抱いていることでしょう。頑張った成果が出た教科もあれば,取り組み不足がそのまま結果に反映した教科もあったことでしょう。のみならず,それほどやっていなかったけれども得点が取れてしまった科目やずいぶん頑張ったにもかかわらず望むような結果が得られなかった科目もあるのではないでしょうか。そこで今回は,「良い成績を取り続けられる生徒の思考法」について紹介してみたいと思います。長くなりますが,最後までお付き合いください。

 試験勉強の取り組み方と結果の関係には,大きく分けて上記のような①「頑張った⇒満足のいく結果」②「頑張らなかった⇒満足のいかない結果」③「頑張った⇒満足のいかない結果」④「頑張らなかった⇒満足のいく結果」の4パターンあるように思えます。では①から④を自分にとって良い順番に並べたらどうなるでしょうか。実はここで多くの生徒が④→①→②→③の順に答えます。つまり,まず「満足のいくような結果」を重視して①と④を選び,次に「頑張ること」より「頑張らないこと」の方が得だと考え④を1番に選ぶようなのです。しかし,この考えでは良い結果を続けるどころか1回出すだけでも難しいと言わざるを得ません。

なぜなら,中学に限らず高校や大学あるいは社会に出てからも好結果を残し続ける生徒というのはほぼ例外なく「①と③が良くて②と④が悪い」というように答えるからです。すなわち,どんな状況であっても結果よりも「頑張る」ことが最優先されると考えているのです。そこで注目されるのが,④の位置づけです。結果を残せない生徒はまず1番に選択し,結果を残し続けられる生徒は全く重要視しません。僕はこの違いがその生徒の差を決める最大の要因だと思います。

 「頑張らないで好結果を出したい生徒」と「頑張らないで好結果を出すのは間違っていると考える生徒」。同じ世代の子供たちの中でなぜこれほどまでの意識の違いが生じるのでしょうか。この事に関しては様々な要因が考えられますが,僕はその中でも最たるものは「頑張ること自体の大切さを身をもって実感しているかいないか」だと考えています。

 教育現場では過程と結果の関連性についてよく論じられます。たとえば,「結果より過程が大切だ」とか「それでもやはり結果につながらなければ意味がない」など色々な観点から意見が述べられます。でも実は僕の考えはそれとは少し違います。僕は過程と結果はそもそも比較すべき対象ではないと考えているのです。僕の中では,結果とは「他人を納得させたり,他者評価を上げるために必要な手段」であり,過程とは「自分の人間的成長へと直結する唯一の手段」と位置づけています。すなわち,結果は他者との関係性の中にのみ重要性が存在し,過程は自分の評価を高めるために存在するのです。ですから,その2つは次元が違うため比較のしようがありません。ただ間違いなく言えるのは,単に結果が出るだけでは人間的成長など望めず,逆に結果が出なくても過程が伴っていれば人間的な成長には確実につながるということです。そしてそのように考えると,先に述べた④を重視しない生徒の考え方がよくわかります。つまり,その生徒は「頑張ったことが自分の成長につながった」と自らの経験からしっかり理解できており,それだからこそ結果が出る出ないに関わらず頑張り続けられるのだと僕は思うのです。

 そこで,その中にこそ創優会の役割が見えてくるような気がします。それは,「塾生たちに1日でも早く『頑張ること自体がどれほど大切なのか』を伝えるということ」です。塾生ひとりひとりが頑張ることの重要性を学び,そこから自分の成長が実感できたならば,その経験は何よりも強く確かなものとなるはずです。他人の評価を得るために必要なのは結果ですが(もちろん受験の合否も結果によって判断されるのですが),結果を出しやすくするのは何よりも本人の頑張りですし,その頑張る過程の中にこそこの厳しい時代を生き抜くヒントが隠されているのではないのでしょうか。頑張ることの重要性を正しく理解し,その上で着実な努力を続けられる人間にとって,時代の変化や社会の厳しさなど『自らを成長させる貴重な要因の一つ』にしか感じられないのだと僕は思います。

 今年の夏期講習は,塾生が「頑張るのって苦しいけれど,頑張っている自分は好きだ」と心から実感できるような厳しく楽しいものにしたいと考えています。そういった精一杯の頑張りを引き出せるように僕自身も「苦しいけれど楽しい準備」を積み重ねていこうと思います。一緒に頑張って,この暑い夏を「熱い夏」に変えましょう。