新学期から娘(小4)が学びの森に通っています。
まだ週に1度(算数)だけですが、やはり学校の勉強とは違うようで、宿題に悪戦苦闘しています。
さっそく妻とこんなやりとりがありました。
宿題の中にどうしてもわからない問題があり、妻に教えてほしいと頼むのです。
妻はもちろん「一生懸命考えて、それでもわからなければ佐藤先生に聞きなさい」と言うのですが、
娘はそれがどうしても嫌らしく、何度も何度も頼んでくるのです。
ただし、娘は「例題」もろくに見ず、いきなり設問を解こうとしていたのでした(情けない…)。
結局、妻が根負けして少しだけ教えることになったようです。
学校の勉強とはやはり違いますし、塾によってやり方も違うのでしょうが、
学びの森の勉強は、どの科目もなるべく自分一人で取り組んでほしいと思っています。
なぜなら、わからない問題を誰かに教えてもらった時の「わかった」という喜びよりも、
わからない問題を自分の力で解けた時の「わかった」という喜びの方がはるかに大きいからです。
さらに、「自分の力で困難を乗り越えた」という喜びもそこに加わるからです。
その結果、その2重の喜びが生徒のその後の勉強を前へと進める原動力になるのです。
パズルがどうしてもわからなくて解き方を教えてもらう(答えを見る)のと、
どうしてもわからなかったパズルが自分の力で解けるのと、どちらがうれしいでしょう?
どちらの方が「もっとパズルを解きたい!」と思えるでしょう?
言うまでもありませんよね。
もちろん、「この生徒にはまだ厳しいな」と判断したらその時点で教えます。
けれども、その生徒が自力で解ける可能性があると判断したならば、なるべく教えずに待ちます。
「わかった!」という喜びや「自分でできた!」という喜びをどうしても味わってほしくて、
「この生徒はいつか必ずできる」と信じ、僕も佐藤先生もひたすら待ち続けます。
生徒に勉強を教えることももちろん大切ですが、
生徒が自分で乗り越えるのを信じて待ち続けることの方が、
生徒自身の成長にとっては大切だと僕は思います。