先日インターネットを見ていたらとある記事が目につきました。それは,現在低迷中であるプロ野球の読売ジャイアンツのコーチのコメントだったのですが,「うちは有名なバッターが多い。それで自分が下手にアドバイスをして結果が出なくなったら困るから,今までは一切口を出さなかったんです」と言っていました。
それを読んで僕はあきれ果ててしまいました。空いた口がふさがらないとはまさにこのことなのだなと実感しました。そのコーチは元有名選手で,コーチとなった今でも数千万円単位の報酬をもらっています。しかし,やっている仕事は何もありません。ただベンチに座ってコーチ面をしているだけなのです。
指導者というものは,選手(部下)に何らかの欠点が見つけられたら自分の責任でその克服に取り組んでこそその役割を全うしているといえるのではないでしょうか。そしてそれが功を奏したなら部下(選手)の手柄,失敗に終わったら自分のミスとして受け止められる人物でなければならないのだと僕は考えますし,そうでない人間は指導者などならない方が適切だと思います。自分の役割を果たしもせず,いや自分の役割が何かすらわかりもせず指導を続けることは,それをされる側としては不幸としか言いようがありません。そこには加害者と被害者の関係が成り立つとさえ言えるのではないでしょうか。
夏期講習を前にして,最近創優会にも同様の電話が何件かかかってきています。「今まで通っていた塾は結局何もしてくれなかった。成績が上がらないのはもちろん,ただワークの採点をしているだけの無責任な講師が多数いて,しかもその講師もコロコロと変わってしまい,個別指導といいながらその子供に合った指導とは全くかけ離れていた」といった内容を聞かされると,同じ業界にいる者として恥ずかしくかつ腹立たしく思います。生徒を集めることだけに神経を使い,「生徒を育て上げる」という責任感のある本来なすべき指導とは無縁の本末転倒な講師はどれだけいるのでしょう。学校教育が荒廃しているからという理由で単なるビジネスとして存在する塾はどれだけあるのでしょう。かと言って,創優会も理想を現実化しているとはまだまだ言い難いのは確かです。しかし,生徒たちを大切に育て上げることを念頭に日々研鑽を重ねているとは胸を張って言えます。
大人たちひとりひとりがそれぞれの持ち場で役割を全うするような,大人たちみんなが目先の利益などにとらわれることなく長期的な視野から行動を積み重ねていけるような,そんな社会が実現すれば子供たちにとってどれほど素晴らしいことでしょう。「子供は大人が言うようには育たない。子供は大人がしたようにしか育たない」そのことを僕は今回改めて深く考え直しました。
