「望まなければ何も叶わない」このことは誰でも理解できると思います。でも,あまり望みすぎると「欲張り」と言われてしまうのがこの社会の常です。僕自身幼い頃から幾度となくそう言われてきました。しかし,僕はそこに問題があるのではと前々から思っています。
日本では「欲張り」という言葉を人をけなす言葉として使ってきました。日本人特有の横並び意識を象徴する言葉なのだと思います。ところが,外国では「欲張らないことは悪いこと」と考えられています。確かに,「欲張り」という言葉には人間の心の汚さのようなものが感じられ,言われるといやな気分がするのですが,「欲」を張らないことには前に進みませんし,何も得られません。外国ではそのプラスの要素に目をつけたため,日本とは逆の考えに至っているのだと思います。つまり,「主体的な行動は個人の欲から生じる」ということを肯定しているのです。実際に僕が一般企業に勤めていた頃にも,貪欲な人間であればあるほど出世していき,逆に「あの人はいい人だ」などと言われている人は大抵,出世レースから取り残されていました。
そこで,もし仮に貪欲であればあるほど出世や自己実現が可能となるならば,世間の風潮はどうであっても子供たちに「『自分がどうしたいのかを考え,絶えず欲を持つこと』は決して悪いことではなく,むしろ必要なことだ」と正しく伝えなければならないのではと僕は考えます。現塾生においても,内に秘めるか外に出すかはともかく何らかの形で「自分はこうなりたい」という欲を持っている生徒から成績が伸びていっているというのが現状です。この夏も欲を前面に出した生徒は道コンの成績が飛躍的に上がりました。ですから,「未来の自分を大切にするという意味合い」で「自分が何をしたいのかを明確化する」ことが重要なのではないでしょうか。逆に,「何をしたいのかがわからないということ」は「自分の可能性を狭めているということ」なのだとも思います。
今はまだ若い(幼い)塾生たちもいつか必ず大人になります。そう考えると,やはり時間はあり余っている訳ではありません。大人になるまでのその限られた時間の中で生徒たちひとりひとりが「何を思い,何を考え,何に気付き,何と出会い,何を志向し,その結果どこにたどり着き,そしてまた新たに何を希求するのか」ほど大切なことはないように思われます。たった一度きりの人生を塾生全員が一片の悔いもなく終えられるよう,創優会もできる限りのことをし続けたいと思っていますし,それこそ僕が創優会を作った最大の理由の一つなのです。
