先週のお便りで「考える力」と「理解する力」について書きましたが、
今週はその続きです。
もう一度整理します。
「考える力」とは、
わからないことを『どういうことなんだろう?』『なぜなんだろう?』と考えた分だけ身につく力です。
つまり、「自分で問いを立てる力」=「自問する力」になります。
「理解する力」とは、
わからないことが『あ、そうか!そういうことか!』と理解できた分だけ身につく力です。
つまり、「立てられた問いに対して自分で答えを出す力」=「自答する力」になります。
したがって、「考える力」と「理解する力」の両方を身につけている人は
「自分で問いを立て、その問いに自分で答えられる人」
つまり「自問自答できる人」ということになります。
僕はこの「自問自答」こそ、勉強のあるべき姿だと考えています。
いやむしろ、「自問自答の先にしか本当の勉強は存在しない」というのが本音です。
ところが残念ながら、最近の生徒はこの「考える力」をあまり持ち合わせていません。
『なぜなんだろう?』と自分で問いを立てられない生徒が大勢います(実感としては9割以上です)。
その主な理由の1つは、学校の勉強がそのように設計されていない(そういうことを望んでいない)からです。
そして、そのことに生徒たちが慣れ切ってしまっているからです。
生徒たちが『なんでなんだろう?』と一切思うことなく、
先生が一方的に知識を与え続けていく授業。それが延々と続く毎日。
その中で生徒の勉強から主体性が奪われ、どんどん「受け身」になっていきます。
たとえば、小学校で「三角形の面積は『底辺×高さ÷2』という公式を使えばわかります」と初めて習う時に、
「なんで?」と思い、「あっそうか!必ず長方形の面積の半分になるんだ!」と納得した上で理解する生徒と
何も思わずにただその公式を受け入れ盲目的に使うだけの生徒とでは、
公式を当てはめて解き「まるがつく」という点においては何も変わりませんが、
それ以外のすべて(たとえば理解の厚みや深さ、生徒の納得度)がまったく違います。
そういった違いが勉強のあらゆる単元や分野で表れるとしたら、
両者の違いは決定的なものとならざるを得ません。
いくら点数が取れていても、このようなことができていない生徒は
「本当のところはわかっておらず、ただ覚えているだけ」という可能性が高く、
ちょっとした応用問題で歯が立たなくなってしまいます。
定期試験は取れても模擬試験は取れないという生徒や、
中学の成績は良かったのに高校からは下がってしまったという生徒は
残念ながらこのパターンに陥っていると思います。
「あらゆる勉強に対して『なんで?』と思う」
そこから本当の勉強(学び)は始まります。
僕が2年前に「創優会」から「学びの森SOYUKAI」に塾名を変えたのは、
この「本当の学び」を生徒たち一人ひとりに伝えていきたいと本気で思ったからです。
塾生のみんな、「なぜ?」「どうして?」というところから共に学んでいきましょう。
僕もそこから勉強が面白くなったのです。