先日、糸井重里さんのサイトを見ていたら
このようなことが書いてありました。
「犬が散歩中に電信柱のにおいをくんくんと嗅いだりするのは、
人間にとって手紙を読むような『たのしみ』なのだそうです。
したがって、人間の都合で無理に引っ張っていったりしては
『たのしみ』を奪うことになり、かわいそうなのです」
そこで僕は思いました。
「自分にとっての『たのしみ』ってなんだろう?」
とっさに浮かんだの『お風呂』です。
僕は無類の風呂好きで、
休日なら時間の許す限り何度でも入っています。
でも、湯船につかっている時間は決して長くはありません。
お風呂のいすに座って、ひたすら本を読んでいるのです。
つまり、僕の『たのしみ』は『お風呂で読書』ということになります。
そこで僕は考えました。
「うちの奥さんにとっての『たのしみ』ってなんだろう?」
化粧をしている時も楽しそうだし、
友人と話していたり、買い物をしていたり、
おいしいものを食べている時もやっぱり楽しそう。
でも、彼女にとっての本当の『たのしみ』とは何かとなると
これはなかなか難しいなあと感じました。
でも、その瞬間に気づいたのです。
「これじゃあ、一緒に暮らしている者として失格だな」と。
もちろん相手の『たのしみ』のすべてを
叶えてあげることはなかなか難しいです。
でも、少なくとも相手の『たのしみ』が何かを理解しているだけで
色々なことが変わってくるのではと僕には思えるのです。
たとえば、我慢したくないようなことでも
それが相手にとっての『たのしみ』なんだと理解できれば、
少し我慢しやすくなるような気がするのです。
「他者理解の重要性」と言ってしまえばそれまでですが、
糸井さんの文章で『たのしみ』というキーワードを見つけてから
「他者理解の上手なやり方」が少しわかってきたような気がします。
それはともかく、
こういう気づきや学びってなんだか心を豊かにしてくれます。
気づきや学びに限らず
心を豊かにしてくれるようなものは何でも、
僕にとっては『たのしみ』になるのです。
来年はこういった『たのしみ』を
もっともっと増やしていけたらと思っています。
そのためにも、
もっともっと自分や他人を理解していきたいです。
