あえて受験前に書こうと思います。
僕は受験というものを
「入試当日に合格点をいかに取るかの勝負」であるとか
「受験勉強を始めた日から入試当日までにどれだけ頑張ったかの勝負」であるとか
そのようにはとらえていません。
20年近く現場で受験に携わってきた者としては、どうしてもそういう風には思えないのです。
僕にとっての受験とは
「生まれた日から受験当日までの、その人間の全てが問われるもの」です。
したがって、
僕にとっての高校受験とは
「生まれた日から高校受験当日までの、その人間の全てが問われるもの」であり、
僕にとっての大学受験とは
「生まれた日から大学受験当日までの、その人間の全てが問われるもの」であり、
僕にとっての就職活動とは
「生まれた日から入社試験当日までの、その人間の全てが問われるもの」なのです。
僕自身の受験や就職活動がまさにそう実感させられるものでしたし、
今まで関わってきた全ての教え子たちの受験や就職活動も
やはりそう実感せざるを得ないものばかりだったのです。
結局のところ、最後に問われるのは「それまでの全て」であり、
それ故にこそ「決してごまかしはきかない」のです。
今、中3生も高3生も最後の踏ん張りを見せてくれています。
本当に本当に頑張ってくれています。
指導者として嬉しい限りです。
でも、その頑張りが受験当日までの一過性のものとなってしまうのであれば、
やはり「もったいない」の一言に尽きてしまいます。
数年後にはまた「それまでの全て」が問われる試練が必ずやって来るのですから。
しかもそれは、受験や就職活動だけに限ったことではありません。
世の中に出てからはなおのこと、そういった「積み重ね」が問われます。
「プロフェッショナル」として他人からお金をいただくのですから。
もちろん僕も毎年受験のたびに、あるいは毎年生徒を募集するたびに、
いや日々の全ての授業や面談でも真価が問われています。
プロ塾講師として、あるいは経営者として「ごまかしのきかない」毎日が続いていきます。
受験生のような息苦しく耐えがたい経験を来る日も来る日も来る年も来る年も続けていくのです。
絶えず「それまでの全て」が問われ続けます。
でもそうであるからこそ、人として成長できると思うのです。
苦しんだ分だけ「人としての根っこ」が生えてくると思えるのです。
そう考えると、
「苦しみながらも何を積み重ね続けたか」がその人そのものになるのかもしれません。
人生の終わりに「それまでの全て」を「最高だった」と振り返られたとしたら、
僕は心から納得できそうです。
