No.84 H17.5.21

 塾生全員が頑張れる人間になること。そして,その成果として全員が志望校に合格すること。この2点を目指して僕は日々教え続けているのですが,最近は以前に比べて頑張れる生徒が着実に増えてきました。入会したころは自分の力で何一つやれなかった(やろうとしなかった)生徒が誰の助けも借りず難問に精一杯ぶつかっていく様子を見ていると,「本当にたくましくなったな」と心から嬉しくなります。僕にとってはこういった瞬間は合格の報告と同じくらい価値のあるものなのです。塾生の成長を来る日も来る日も祈り続け,期待通りにならず裏切られることもありますが,それでもなお生徒を信じ待ち続けた結果,少なからぬ成長の跡を見せてくれた時は,この仕事を選んで本当に良かったと思わされます。

 逆に,生徒の成長を期待するあまり僕は叱りつけてしまうことも多いので,その度にやはり心を痛めることになります。いつも「今度こそわかってくれよ。頑張れるようになってくれよ」と思いながら叱るのですが,僕自身叱られてばかりの子供だったので叱られる側の気持ちもわかるだけに,いつも悲しい気持ちになりながら叱っています。しかも,子供を叱っても全くいい気分にはなりません。心身ともにぐったりと疲れて果ててしまいます。そう考えると,いっそのこと叱るのを一切やめて生徒にただ気分よく勉強してもらった方がいいのではないかと考えたりもします。

 実際僕の知る限り,創優会ほど生徒を叱る塾はないと思います。というより,他塾では厳しく叱ること自体が皆無なのではないでしょうか。しかし,迷いながらも僕は叱ることを選択します。それは,生徒やご父母の皆様がなぜ入塾したのかをいつも考えているからです。わが子の成長と合格を期待して創優会を選んでいただいたのですから,その期待に応えるためには自分の心が痛むからなどという理由で叱らない訳にはいきません。それこそ本末転倒です。

 ですから,巷では創優会という塾は厳しいと言われることも増えてきたようなのですが,僕としては当然の仕事をしているだけと言うことになり,他の塾が塾本来の目的と役割を見失っているのではないかと思うのです。当たり障りのない,ただ勉強を教えるだけの指導で伸びる生徒しかいないのなら一向に構わないのですが,残念ながらそのような生徒はほとんどいないのが現状です。そしてそのような生徒ばかりであるとすれば,創優会はその存在意義を失ってしまいます。なかなか頑張れない生徒に精一杯頑張るきっかけを提供するのが創優会なのです。

 「初心忘れるべからず」とはよく言われますが,上記のように僕自身この言葉の重さに日々直面し,自分を戒めています。願わくは,塾生ひとりひとりが「なぜ自分は勉強するのか」と自問自答しながら生活してくれれば,それだけで生き方のレベルが上がり,更なる成長につながると思います。「勝負の6月」をいい形で迎えられるように,塾生全員の精一杯の頑張りを期待しています。