No.164 H19.2.17

ある本で素適な言葉を目にしました。

「仕事」なんてやめて「志事(しごと)」をしよう!

「仕事」を「仕える事」と書くから「義務感」が生じてしまう。

それよりも「志す事」と書けば、自分のやりたいことにつながっていくイメージが広がる。

というようなことが書いてありました。

読んだ瞬間「我が意を得たり」と思いました。

僕自身「仕事」という言葉がどこか好きになれませんでした。好きなことをしているはずなのに、「仕事に行ってくる」と言ってしまうとどうしようもない義務感が身体にまとわりつくのです。

実際、僕が創優会でやってきたこともこれからやろうとしていることも僕の「志」以外の何物でもありません。その志に賛同していただいた方が入会し、そうでない方は他塾を選び、僕としては賛同していただいた生徒やご父母の皆様に少しでも「創優会で正解だった」と思っていただきたくて、日々生きているようなものです。つまり、「自分の信じていることを他人にも信じてもらえる喜び」が僕をつき動かす原動力なのだと改めて認識したのです。

でも、この事は塾生にも当てはまる気がします。

今自分がしている勉強に「志」が入っていますか?「志」でピンとこなかったら「希望」や「願い」や「想い」でもいい。とにかく、義務感ではなく、「自分の意思」で勉強に向かえていますか?

「YES」と答えられる生徒には「君はもう学ぶ準備ができている。だから、ぜひ、創優会という環境をこれからも選んで欲しい」と僕は言いたい。そして、その「志」や「希望」や「願い」や「想い」の全てを叶えられるよう共に頑張っていきたい。

しかし、「YES」とはなかなか言えない生徒には「そのまま続けても何にもならないよ。学ぶ準備ができていない人間が伸びるほど勉強も受験も甘くないよ」と僕は言いたい。そして、「自分が変わらない限り結局何も変わらないし、希望や願いも決して叶わない」という真実を1日でも早く知って欲しい。

今回の定期試験の勉強でも「取り組み方が明らかに進歩した生徒」と「相変わらず同じことを繰り返している生徒」にくっきりと分かれてしまいました。色々手を変え品を変え指導しても、変わらない生徒はやはり変わりません。中には「この生徒は最後まで変わらないかもしれないな」と僕が思っていた生徒でも今回変わる兆しを見せてくれた生徒もいます。しかし、本人だけが変わったつもりで結局何一つ変わっていない生徒もまだまだいます。

最後に人生を分けるのは「生い立ち」でも「才能」でも「性格」でも「運」でもなく、単に「強い志があるかどうか」だと僕は思います。