No.165 H19.2.24

今週の文章はとても長くなります。どうしても短く書くことができない内容だからです。
しかし、塾生全員にまたご父母の皆様方にも是非読んでいただきたい内容です。
どうか最後まで読んでみて下さい。これは僕からの「お願い」です。

「価値観の多様化」という言葉が流通してからしばらく経ちます。

最近では、「価値観の多様化」とはつまり「決定的な(あるいは絶対的な)価値観が見つからない時代」なのだと言われています。

以前なら「いい学校に進学して、いい会社に就職することが、すなわちいい人生だ」という図式が成り立っていたのですが、終身雇用と年功序列の廃止によって、その価値観は過去の幻影となってしまいました。しかし、それに続く「新しい図式」が未だに見つからないため、ずっと「価値観の多様化」と言われ続けているのだということです。

僕もその通りだと思っています。
でもだからこそ、もういいかげんに気づいた方がいいのではないでしょうか。

「新しい図式」などもう存在しないということに。

「いい学校で、いい会社で、いい人生」などという価値観は戦後50年ほどしか通用しなかった極めて一過性のものだったということに。

そして、「自分の人生は自分の責任できちんと土台から組み立てていかなければならない」ということに。

実は、価値観など多様化していません。そんなものは「初めからなかった」のです。
世界の歴史上で日本にだけ、しかも戦後からバブル崩壊までのほんの短い間にだけ「なぜか偶然存在していた」だけなのです。

でも、その短い期間にすっかり日本人は自分の頭を使うことをやめてしまいました。「図式」に当てはまりさえすれば大丈夫という時代が続いていたのですからそれも当然なのかもしれません。とにかく、「楽」ばかり求めるようになってしまいました。

しかし、今という時代はすでに「一人一人が自分の生き方を真剣に考えなければ通用しない時代」に変貌を遂げてしまったと僕には思えてならないのです。
それは同様に、あたかも「実は当たり前の時代」のような気がするのです。

僕は今の日本の姿を見ていて、つくづく「子供たちにとってとんでもない世の中になってしまったな」と実感せざるを得ません。
この国の現状に、何もかもが「いい加減」で「幼稚」で「だらしない」と思えてならないのです。

でも、その世の中に子供たちは巣立っていかなければなりません。これはもう逃げられません。

したがって、そのとんでもない世の中に出て、生き抜いていくために「子供の頃からしなければならない準備」があり、その準備とは、「子供のうちに人生の設計図を描くことだ」と僕は考えたのです。そして、その準備こそ「創優会がしなければならない使命」なのだと認識したのです。

それは、本来学校が果たさなければならない役割です。創優会のような私塾に求められるべきことではありません。しかし、今の学校にそれを要求しても仕方ありません。一昔前から学校は学校としての体をなしていません。

そこで、大切な時期に子供たちをお預かりする塾の役割は「ただ合格させればいい」「ただ勉強を教えればいい」といったことで終わってしまってはならないのではないかと僕は考えました。

もちろん勉強はしっかりと教えますし、第一志望校に合格もしてもらいます。でも、「それだけで本当にいいのか」「それだけでこの子たちは本当に生きていけるのか」と自問したとき、僕の心に「ノー」という答えしか浮かびませんでした。

このような過程を経て、僕は創優会を「生徒を世の中に送り出すための場」と再定義しようと決意したのです。
勉強は「生徒が世の中に出て行くための武器」と考えます。
努力は「生徒が世の中に出てからもずっと支えとなる唯一の拠り所」と考えます。
講師は「生徒を世の中に送り出すための者」と考えます。
そして、生徒たち一人一人は「世の中に出てから光り輝くダイヤモンドの原石」と考えます。

つまり、「生徒たちを世に送り出し、どんな世界であってもプロとして活躍し続けていくだけの確かな要素を授ける」のが創優会という「場」なのです。

この考え方は、もうすでに「教育」というものから離れてしまっているのかもしれません。
でも、僕はこの世界を見るにつけ、そして学校の荒廃を見るにつけ、「世の中に出てから役に立たないような教育ならもう必要ない」とあえて言い切ってしまってもいいのではないかとさえ思っています。

「小中学校の頃から自分の人生について考え、少しでも実行し続けるような生徒」を育成する塾がこの世界に1つくらいあってもいいではありませんか。

この言葉が、この思いが、この覚悟が「今の僕の志」なのです。

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
読み終わった今、皆さんの心に何か感じるものがあったとしたら、それだけでも身に余る幸せです。