No.287 H21.11.14

僕は自分でもかなり理屈っぽい人間だと思うのですが、

でも実は、「理屈抜き」という言葉の方が好きなんです。

 

「理屈抜きでほしい!」

「理屈抜きでやってみたい!」

「理屈抜きで結果を出したい!」

 

「理屈抜き」という言葉には

「むき出しの意志のようなもの」がほとばしっていて、

「人間らしさ」も感じられるので、

僕はとても魅かれるのです。

 

 

よく生徒と保護者の間でこのような会話が見られます。

 

保護者「なんでその高校に行きたいの?」

生 徒「わかんないけど、行きたいんだ」

保護者「理由もないのに行きたいの?」

生 徒「うん。理由はないんだけど、とにかく行きたいんだ」

保護者「理由がないのはダメだよ。それは行きたいうちに入らないよ」

生 徒「うーん…」

 

僕はこの生徒の気持ちは決して嘘ではなく、

「理屈抜き」で行きたいのだと思います。

いやむしろ、「理屈抜き」だからこそ

「本当の気持ち」と呼べるような気さえします。

 

大人は子供にとかく「理由」や「根拠」を求めがちです。

でも、もしかするとそうすることで、

「子供は自分の本当の気持ちがわからなくなる」のかもしれません。

 

子供たちの思いをそのまま受け止めてあげられるような、

そしてその思いをそのまま生き方に反映させてあげられるような、

そういう教育を僕は創優会という場でやってみたいのです。

もちろん、僕がこう願うのも「理屈抜き」です。